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不登校になった息子の人生は誰のものだろう

もし息子が、本当は行きたくないのに私に気を使って学校に行ったとして、


その後の人生でも私が安心できるような高校や大学に進んでくれて、多くの人から羨ましく思われるような生き方をしてつまずく事もなく順調に過ぎていったとイメージしてみる。


例えばそれから20年が経ち私も60代になった時…

「オレの人生はお母さんの望みを叶えただけだ」と言われたら、私はとんでもない事をしたと自分の愚かさを嘆くと思う。


そして同時に、もう一方の愚かさにも気付く事になる。

子どもに自分の望みを託してきたって事は、その時の私には何が残るだろうか。



これは息子の不登校で悩んでいた当時、考えた事です。


不登校は未来への不安が強くなるし、一般的な生き方に比べたら もしかしたら大変な道のりかもしれません。


でも不幸になると決まったわけではないんですよね。


悔しさや寂しさや苦労もたくさん経験するだろうけど、それが本物の自分のものなら、その感情を感じることも含めて素晴らしい人生だと思えました。


苦労なく過ぎていき楽しい時間が多くても、自分の人生だと言い切れない事の方が不幸だなと、私は思っています。

それは私自身の経験から繋がる結論でもあります。


そして子どもの事だけじゃなくアラフォーからの自分の人生を考えた時に、自分の事も大切にしたいと思いました。


息子の不登校と向き合う事は、私の人生について向き合う日々にもなっていきました。


それではまた。




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