愛着の土台作りは感情を受け止めてもらうところから始まるのに…

こんにちは、やつ子です。


自分の心と向き合うのが好きすぎて
YouTubeチャンネルを作ってしまった
私めげないやつ子が

愛着の土台作りは
感情を受け止めてもらうところから始まるのに

という事についてお伝えします。



例えば子どもの頃、
きょうだい喧嘩で負ける。

負けて悔しいとか悲しいとかの気持ちを
親に受け止めてもらえなかった場合。


どちらかというと雑に扱われる感じで

男の子/女の子なんだから
お兄ちゃんなんだから
お姉ちゃんなんだから
○才なんだから
それぐらいの事で
情けない
自分でやり返せ

こんな事を言われて
気持ちの行き場を失う。


“もう争いたくない…”


家族仲良くしたいのに
本当は平和が好きなのに

もう争いたくない。

だって負けるから
負けたあと悲しいから

負けたあと心を雑に扱われるから。



それでも生きていくには…?


例えばある者は
戦わずして勝つ方法を探す。

根回し
周りを使う
罪悪感を与える
かわいそうな子になる
正当化する
すり替える


こんな事をすると
とりあえずその場だけは“勝つ”ことになる。

子どもの頃に見つけた
自分を守る方法だ。


大人になっても続けていたら
大切な人が去っていくけど。



もう一方で
戦わずして勝つ方法を考えない者もいる。

生きていくために
なぜ負けたのかを考え抜くのだ。


そういう時は思いが “真実” に向かう。

その場だけ勝つことに
意味を見出だせないから…
でも負けるのは納得できない。

だから真実に頼りたくなる。


本質を探すクセがつくと同時に
思考が優位になっていく。

自分の本音や感じた事に鈍くなる…


物事の本質は見極めていくが
自分のことはわからないまま。



もしあの時
負けた悲しみや悔しさを
受け止めてもらえていたら、

負けた悲しみも悔しさも
大切な自分の感情なのだと
お母さんが言ってくれたら、

相手や自分を雑に扱うような方法なんて
選んでない。



私も含め親の罪は大きい。
このことから逃げてはいけない。

でも自分を責める材料にするのは
逃げ、だと思う。


けど実は

親のせいにしなくても
自分でどうにでも出来る。

自分と向き合うことで
自分を救ってあげられるのだ。


それは
自分の本心を知り
それを許し
認めてあげる時間を
自分のために用意することだ。


負けた時の悔しさを
自分が受け止めて

大切な気持ちなのだと
悔しいけど生まれてきて良い感情なのだと
教えてあげればいい。


その対応の仕方を
大人になった今、
身に付ければいい。



その瞬間、
親から自立できる。



始まりはたった一つの
かけがけのない感情が生まれた瞬間だった。


自分のそれを受け止められる力があれば

それは悲しいっていうんだよ
大切なあなたの気持ちだよ
でも悲しいのは嫌だね
安心できるまで
ずっと近くにいてあげるね

そんな風にわが子にも
やっと言ってあげられる。


わが子の悲しみや悔しさ
ありのままを受け止めたいなら
自分と向き合ってから…

自分の愛着形成の土台を
整えてからの方が良いと私は思っている。



きょうだい喧嘩に勝つことだけが
全てではない。

心が満たされることもまた幸せである。


そのために誰かを利用するのは
満たされているようで
それは錯覚…なんだと思う。


結局は
その時々で生まれた気持ちを
お母さんに受け止めてもらうしか
満たされることはない。

それが叶わないなら
自分で受け止めてあげればいい。


でも
きょうだい喧嘩…だけじゃなくて

他にもこれまで無数に
様々な出来事を通して
感情は生まれてきたはずだ。

それはどこに行ったのだろう。


捨ててきたのか
隠したのか
黙らせたのか

置き忘れてきた過去に戻って
一つ一つ拾いに行く事をする。


人生の棚卸しのような贅沢な時間を
自分に使おう。


それではまた(^-^)/





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