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息子の友達と「四摂法」

今日は、早帰りだった息子。

木曜日はいつも、夕方から塾がある。

先週は、突然遊びに来た複数の友人たちの存在に、心がいっぱいいっぱいになり(見た目は楽しそうに遊んでいて、一切揉めた事はなかったのだけれど)塾の前に号泣して、行くことができなかった。

そんな先週に引き続き、幼馴染みの男子友達ふたりが遊びに来ていて。

最初は「遊ばねーよ!」と言ってみたり、締め出し食らわせたりやってたけれど、塾の宿題が終わったら、家に入れてわちゃわちゃし始めて。


2人とも最後「今日は塾行けよ!」「明日は学校こいよ!」「遅れてきてもいいから休むんじゃねーぞ!」とか息子を激励して帰っていった。


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さて。先週と同じ
「友達が遊びに来る」→塾 パターンだけど
今回は行けるのかな?と思っていたら

⭕帰りにラーメンを食べる予定だった
⭕友達から「今日は塾いけよ」と言われた

のが功を奏したのか

ふにゃふにゃと「あー、行きたくない…」とか言っていたものの、すんなりと塾の教室へ入っていった。

気持ちの疲れやすさがすぐに良くなるわけではないけれど、少しずつ彼の許容量は増えている。成長している。

それをもたらしてくれる、同世代の友達の存在に心から感謝を伝えたい。


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体育祭の練習のときも感じたが、息子の自由登校に寛容な子ばかりではないと思う。

実際、同級生の女の子からちらりと「やばくない?」と引かれたりもした。

かと言って、クラス全体で引かれているかと言えばそんなわけでもなく。

むしろ、近所の、昔から知っている子達は、こうして声をかけに来てくれたり、すったもんだしつつも、楽しく一緒に過ごせていたりする。

結局、それが大事なのだと思う。

大勢に好かれなくても、理解されなくても、芯の部分を分かってくれて、「まあ、アイツはそういうやつだからな」と言ってくれる相手こそ大切にすべきなのだ。


それぞれの家庭事情は、さまざま。

親子の関係や接し方も、かなり違う。


それでも言えることは、どの家庭にも、見習いたい良いところがあり、

どの子にも、息子にはない、ステキなところがある。


息子や娘の友達が遊びに来てくれるとき、相手がどんな子だったとしても、それだけは必ず腹に据えて接するように心がけている。つもり。


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仏教の言葉に「四摂法(ししょうぼう)」という教えがあって、


布施(ふせ)…自分の持っているもの、知識などを分け与える


愛語(あいご)…人を思いやる。思いやりの言葉をかける


利行(りぎょう)…相手の特になるような行動をする


同事(どうじ)…好き嫌いでなく、様々なものに対して平等に接する


という意味がある。

これを、自然とできるようになるにはそれこそ、お坊さん並みの修行と徳を積まねばならんのだろうけれど、

こうした、仏様とかキリスト様とか神様の言葉を目指すように生きることは、実は


巡りめぐって、自分を助けてくれる


ということを、息子の友達に教えてもらった。


私自身は、典型的な日本人にありがちな、仏壇と神棚に拝みつつクリスマスも楽しむような、不信心な人間だけれど。


人のことに関して、特に「同事」を無意識だけど実践してきた成果が、こういういろいろ悩みがちなときに、気持ちを軽くしてくれたり、忘れていた感謝を思い出させてくれたり、助けになって返ってきて。


「聖人すぎてムリかもしれないけど…」という目標を目指して、公正な態度で接していると、思いがけないところで助けてもらえることがあるんだな、と実感しているところです。


お坊さんのYouTube、たまに見てみると学びになる。

最初の一問に「四摂法」出てきます。
ステキなお話です。


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