見出し画像

【Netflix】『セックス・エデュケーション』多様性に振り切った青春ドラマに出てくる大人たちのことを考える(前編)

海外ドラマの記事なので、本当は本家の海外ドラマブログ(https://www.meganetamago.com/)で書きたかったのですが、こちらのサイトはものすごく苦労してGo×gle認証を取得したいきさつというのががありまして。

そして、向こうのサイトではちょっとでも性的なことを匂わせるとアカウントがBANされてしまうという悲劇がおきます。わたしが見た中で一番理不尽だったのは、カブトムシの繁殖のことを真面目に書いた記事でした。

上記海外ドラマブログでは記事数があと少しで1000に到達することもあり、ぜっっったいにBANされたくない。人力で見張っているわけではなくロボットパトロールだと思うので単語が検知されてしまうと一発アウトだと思うため、タイトルのドラマはseason3まで完走しているというのに感想を書きたいのにかけないまま今まできました。

が、しかしわたしには今noteがある。

とふと思い立ち、こちらで書けばいいんじゃない? というわけで今書いています(笑)

通常noteでは、わたしのハードな成育環境や家族関係におけるクソ重エッセイを書かせて頂いているのですが、通常はこういうカジュアルな雰囲気でブログを書いているブロガーです。

ですが、どちらも本当のわたしには違いありません。

というわけで、『イカゲーム』で話題になっているNetflix。

同じNetflixオリジナルドラマである『セックス・エデュケーション』について本日は書かせていただきたいと思います。

まずは、普段海外ドラマを観ない方も目にするかもしれない記事なので、ドラマのご紹介からさせてください。

公式サイトはこちらです。https://www.netflix.com/jp/title/80197526

普段の読者さんはスルーでお願いしますね!

『セックス・エデュケーション』はイギリスの郊外の高校を舞台にしたコメディードラマです。

イギリスのコメディードラマは、普段洋画といってもアメリカコメディーが比較的多い日本人には慣れが必要な作品が多いです。

基本的にシンプルな見たままの笑いではなく【皮肉で笑わせる】手法が多く、コメディー・・・なのか・・・?という作品も多いなか、比較的見やすいイギリスコメディー作品だとは思いますが、日本でジャンル分けするならば【ヒューマン】が濃厚だと思います。

ドラマタイトルを日本語に直訳するとまんま『性教育』ですかね。

破天荒だけど愛情深いセックスセラピストであり博士でもある母を持つ高校生男子オーティスが、天才的な高いIQと勉学を極める意思を持ちながらも家庭に恵まれずその才能をくすぶらせている女子高生メイヴと共に、思春期の性とセックスに悩む同級生を相手にお金をとって【セックス・セラピー】を始めるところからスタートします。

序章は主人公オーティスの恋愛事情を中心に、割とスタンダードな多様性を主眼とした【ドラマ性】が比較的高い構成で話が進んでいきます。

性描写もそれなりにありますが、基本はコメディーなので明るいタッチです。ですが、さすがに親や子と視聴するのはためらわれる内容です(笑)。

パートナーと観るのは推奨。これを一番推奨。

本当は15歳過ぎたあたりから全世界の人にこのドラマ観てほしいし、学校で性教育やジェンダー教育の一環として流してほしいけど、日本だけじゃなく世界的にも無理だとは思います。

ドラマ自体はコメディーですが、内容はいたって真面目。

なにかといえば無理やり入れたポリコレ要素はいらないと言われるこのご時世で、性やジェンダーの多様性という方向に全力で振り切っているのにドラマとして楽しめるという作品もそうそうないんじゃないでしょうか。

わたしは海外ドラマを浴びるように観るようになって、ジェンダーや性的思考の知識がかなり増えましたが、それでも思春期の子たちが、それぞれにもがき苦しみながら自分を見つめる姿を見て改めてわかったこともたくさんありました。

なので、一人でも多くの人がこの作品を観てくれるといいなと思います。

『イカゲーム』でNetflixに入った人が観てくれないかなー(笑)

そういったわけで、season1は割と初心者にもとっかかりやすい多様性でスタートしました。

主人公オーティスの初体験はどうなるのか、オーティスの親友である在英アフリカ人二世のエリックがゲイでファッションが個性的なことで起こるイジメ。うまくいかない性行為。親に恵まれず苦労する子ども・・・などです。

恋愛だけじゃなく友情も並行して描かれますし、season2では思春期ならではの狭い世界で揺れる人間関係や性的思考、そしてseason3ではがっつり【多様性】というテーマに振り切りました。

シーズン3のラストでは、自分で自分の性別の認識を持たないノン・バイナリーの、体は女性の子の悩みが一つ解決して、そのときの笑顔を見たとき心から「よかったな・・・」と思って少し涙しました。

わたしにも、見ず知らずの他人の喜びを心から喜べる心があると教えてもらえて感謝してます。

というようなわけで、ノンバイナリーの子のエピソードを盛り込んだりしてきた分、ドラマとしてのストーリーは少し無理が出てきたかもしれませんし、あの子はどうした?とか、主人公がどんどん嫌な性格になってきたりしていますが、観る価値がなくなったわけではありません。

3シーズン追っていくうちにわたしの興味はすっかり、子どもたちから子どもたちを取り巻く大人にシフト。

まー、私も大人なわけですし共感する部分も考えさせられる部分も多いのは事実。

子どもたちは順応性も高いので、白人でも黒人でも女でも男でもLでもGでもBでもTでもQ+でもそれなりにたくましく生きていくと思うし。

まだまだ先は長いし、のびのび元気に育ってくれればそれで。


でも、大人たちはけっこう凝り固まっちゃってる。

そういう多様性を求めてもいい時代じゃなかった時代を生きてきた人たちが多い。

地方育ちで女であるわたしと重なる思考の人もいる。

今では普通になりつつある多様性を訴えてきた人は、今の大人たちが思春期のときは変人扱いだった。

これは今でもそういう傾向はあるけど、昔よりはだいぶマシになっていっていると思う。

日本はあまりないけど、欧米はキリスト教の文化が未だに根強い地域もあるからそういう生きづらさもあったりする。

世間は多様性を訴える世の中にシフトしてきているけど、大人になっている分、長く生きてる分、アップデートしなきゃいけない事柄だと気づかないこと、アップデートできていると勘違いしちゃっていること、アップデートできていないと認めたくない自分、そもそも絶対にアップデートしたくない事柄、逆に自らアップデートに飛び込んでいきたいこと・・・とさまざまで、大人は大人なりにこの【多様性】に振り回されていたりするところがあるんだと気づいたんですよね。

知らなければ、多少の不満はあれど平穏に暮らしていけたものが【多様性】を知ってしまったことで、閉じていた扉が開いてしまうこともある。

我慢していたけどやはり理不尽な仕打ちだったんだとか、自分はこういう性的思考だったんだ、とか。

シーズン3でオーティスの母のジーン(名前)が、医者の心無い発言に腹を立てて病院内で「上司を連れてこい!」と叫ぶのですが、現れた人に向かって「白人男性か! 本当に白人男性ばっかりだ!」ってキレ散らかすシーンがあって。

ジーン自体もオーティスの父も白人(?)で、息子のオーティスも見た目は白人男性なんです。

白人女性が、白人男性優位の世の中に腹を立て抗議しているのをみて、なんかこう胸に迫るものがあった。

うまくいえないけど、こう感情的なところにすごい響いた。

もちろん白人男性は白人男性で生きづらさを抱えているところも描かれており、それぞれの立場で思いがある。

夫婦問題や、多様性が認められてる世の中だからこその子育て問題、家族問題の多様性にも言及しているところが子どもの性教育の問題だけではなく、大人がみるにたえうるドラマだとわたしは思います。

後編では、それぞれの登場人物に焦点を当てて感想を書いていきたいと思いますので、おもいっきりネタバレしたいので前編での記事はここまでとします。

また、後編でお会いしましょう。

それでは、また。



















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?