【三鷹散歩】太宰治の足跡をめぐる一日
2024年、冬、某日。
私は東京の三鷹駅に降り立った。
三鷹は、太宰治が、戦争期〜晩年を過ごした街である。
青森県の北津軽に生まれた太宰は、1930年、東京帝国大学入学を機に上京。その後、1939年から1948年に亡くなるまで、三鷹に居を構えていた。
太宰にとって終の住処となった三鷹の家は、12畳半ほどの質素な借屋だった。
その家で、『人間失格』『斜陽』など、後期の傑作が数多く生み出された。また、「東京八景」や「十二月八日」などの短編では、作品の舞台としても登場し、当時の生活の様子が記されている。
私は、誰に課されたというわけでもなく、「太宰治の作品を全部読む」という課題に取り組んだことがある。
すっかり太宰文学に取り憑かれた私は、晩年彼が過ごした足跡を辿ってみたくなった。そんなわけで、三鷹に降り立ったのである。
この日私は、三鷹駅を出発点として、駅周辺エリアを歩き、街に残された太宰の足跡を探した。
三鷹を巡る、「太宰治散歩」。歩きながら撮影した写真とともにお届けする。
太宰治散歩
三鷹駅〜玉鹿石
さて、三鷹駅南口を出発した私は、玉川上水沿いに「風の散歩道」という通りを歩いていく。
太宰は、1968年6月、愛人の山崎富栄とふたり玉川上水に入水し、その生涯を終えた。
現在の新橋付近で、二人の遺体は発見された。近くには、そのことを記した案内板と、「玉鹿石」という石が設置されている。
みたか井心亭〜太宰の墓
風の散歩道から脇道に逸れ、少し歩くと、みたか井心亭に到着した。
さらに南下し、連雀湯跡を経由して、太宰治の墓所へと向かう。
太宰治文学サロン〜三鷹跨線人道橋
三鷹駅前に戻ってきた。駅から徒歩数分のところに、「太宰治文学サロン」という施設がある。
中に入ると、太宰に縁のある書籍がずらりと並ぶ。オリジナルグッズの販売も行っており、太宰好きなら楽しめる場所だ。
三鷹駅前では、飲食店などが立ち並ぶ普通のメインストリートの中に、ひっそりと影を潜めるように、太宰関連の案内板が点在する。
忘れ去られたように佇む古びた案内板を辿りながら、当時の太宰の暮らしを想像する。
かつて太宰が踏んだ地面を、時代を超えて、自分も踏みしめているのだと考えると、なんとなく嬉しかった。
今回の散歩の最終地点は、三鷹跨線人道橋。
既に撤去されることが決まっており、残念ながら渡ることは叶わなかったが、太宰ゆかりの場所として目に焼き付けた。
おまけ 〜三鷹市美術ギャラリー
最後に、三鷹市美術ギャラリーでちょうど開催中だった、「和紙がおりなす日本の美」という展示を観た。
千代紙の模様が芸術的で、とにかく美しい。芸術美と機能美が融合したデザインで、和紙の世界も奥が深いと感じた。
特に、和紙が江戸〜明治時代の日本外交を支えた面もあったという、歴史的な側面も知ることができて面白かった。
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