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書籍紹介『自閉症の僕が飛びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心』

『自閉症の僕が跳びはねる理由(東田 直樹)』と言う本の紹介です。

自閉症を含む、発達障がいは一昔前に比べてかなり世間に認知されるようになりました。発達障がいのある方の支援は教育や福祉から広がり、いらいろなところで知られるようになりました。

僕は15年程前、大学生のときに「自閉症」と出会いました。先輩から紹介された夏休み短期の学童(今でいう放課後等児童デイサービス)のアルバイト先で。コマのヒモを延々と揺らしている子、プールに行くとずっと底を眺めながら泳いでいる子、ドアや窓が少しでも空いていたら気になり全部閉めて回る子、初めて接する子どもたちに戸惑いを覚えた。でも、先輩スタッフの接し方を観たり、体当たりで子どもたちと接する中でそんな戸惑いは消えていった。

その後も、支援学校生徒へのボランティアやそこから広がったガイドヘルパーのバイト、放課後デイが昼間にやっている作業所でのバイト(午前は作業所、午後は放課後デイとまるで職員のようだった)、グループホームの管理人などでも自閉症の方と出会う機会があった。初めての職場は知的の支援学校で、クラスのいわゆる重度の自閉症の子と毎日一緒に過ごした。盲学校でも自閉症をはじめ発達障がいを併せ有する子どもたちにたくさん出会った。その後も、発達障がいについての本や研修会で勉強を重ねてきた。

自閉症については、ローナ・ウイングの三つ組の考えがよく知られている。曰く、自閉症は社会性とコミュニケーションとイマジネーションの障がいだと。

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(画像はオーク発達アカデミーより)

こだわり、感覚過敏、見通しが持てず混乱する、フラッシュバック、パニック、自傷行為、特定のモノへの関心、人への興味のなさ、一方的な会話、エコラリア、常同行動など自閉スペクトラム症の特徴はたくさんあるけれど、その程度は人それぞれだ。

当たり前だ。僕だって(確かにそう言う傾向はあるかもしれないけど)、「日本人だから」「男だから」「眼鏡をかけているから」「B型だから」「既婚者だから」などという属性だけで自分の全てをわかったようになられるのは嫌だ。

自閉症への支援のモデルケースもどこでも聞かれるようになった。

指示は短く、具体的に、わかりやすく。良い行動はすぐに評価。視覚的な支援が有効。環境を構造化する。余計な刺激を取り除く。具体的なモデルを示す。などなど。

研修会でもそんな支援の手立てについての情報をよく聞く。

自分も実際にそんな支援を行ってきて、子どもの行動が変わる手応えを感じているし、校内の研修会なんかでもそんな支援の手立てを発信している。具体的な手立てを示さず、必要な支援や先の見通しも持たず、怒鳴って言う通りに動かせるのは論外だと思う。



でも、この本を読んでふと考えさせられた。

「そんな自閉症の特徴や有効な支援を知っているだけで自閉症のことを全部わかったような気になっているんじゃないか」

「自分は自閉症の子の個々の感覚や感じ方、心の中の奥で感じていることを無意識のうちに『自閉症というフィルター』を通してみていたんじゃないか。自閉症の子はこうと決めつけていなかっただろうか」

この本の中には、自閉症である筆者の心の中の思いが叫びが綴られている。

「(視覚的にスケジュール表で)落ち着くように見えても、実際はしばられているだけで、本人は全ての行動を決められている、ロボットみたいだと思うのです。」
「いつものおもちゃや本で遊んでいると、やることが分かっているからとても安心です。それを見て、みんなは(これがしたいんだ)と思うのです。けれど、僕の本当にしたいことは、難しい本をよむことだったり、ひとつの問題について議論したりすることなのです。」
「(みんなといると)いつもいつも上手くいかなくて、気づいた時にはひとりで過ごすことに慣れてしまいました。ひとりが好きだと言われるたび、僕は仲間はずれにされたような寂しい気持ちになるのです。」
「僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。」
「僕が言いたいのは、難しい言葉をつかって話して欲しいと言っているわけではありません。年齢相応の態度で接して欲しいのです。赤ちゃん扱いされるたびにらみじめな気持ちになり、僕たちには永遠に未来は訪れないような気がします。」

もちろん本の中の全てをここには書けないのでこの辺りにしておきます。

この本を読んでから、自分のしてきた支援や自閉症に対する認識について振り返り、自問自答しました。

「有効とされる視覚的な支援だって、自閉症の特性を利用しているだけで、その子は本心では望んでいないのかもしれない」そういう思いが浮かんできます。もちろん、今、現実的に、有効とされている支援なしでは自閉症の子と上手いことやっていくのは難しいだろうとの思いもあります。でも、適切な支援の方法と本人のやりたいことは違うかもしれない。

子どものために支援があるのであって、支援の型にはめ込むために子どもがいる訳ではない。

支援は支援、大事なのは子ども一人ひとり。

そんな当たり前のことを再認識する機会になった本です。


著書の東田さんはオフィシャルホームページを運営されていて、noteをされています。

続編やエッセイ、絵本なども執筆されています。KADOKAWAつばさ文庫版も出版されています。またこの本は『The Reason I Jump』として翻訳され、2020年にはイギリスで映画化されています。くわしくはオフィシャルサイトを覗いてみてください。



表紙の画像はAmazon.co.jpより引用しました。