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逃げる=「負け」なのか②


そもそも、私の人生は逃げてばかりだった

まず、習い事が続かなかった

水泳は小学生の頃2年間通ったが、いつになってもクロールができず、コースの途中で立ってしまい、先生にも生徒にも邪魔者扱いされたことを苦にいけなくなってしまった

補足すると、今でもなのだが、複雑に動きが理解出来ても実践できない

クロールする時は、
手→みぎ!ひだり!
足→ばたあし
顔→手に合わせて横を向く
口→呼吸

これらを反射ではなく、逐一脳内で叫んでから動作に移るわけだから、上手くいくわけがない

(同じように、バスケ・サッカーのドリブルも不可能)
運動がダメだと判断した親は、習字茶道にも通わせた しかし、なにせ胆力がない
足が痺れる、とか言い訳をしてすぐにいかなくなった

唯一13年続いたものがある
それは、ピアノ

3〜16歳まで、コンクールに出て賞を争うくらいには真剣に取り組んでいた
勿論、学校では必ず伴奏担当

ピアノは私のアイデンティティになっていた

しかし、高校に入ってまで真剣に続けるとなると、次に目指すのは音大ということになる
中途半端な私はそこまでの実力も努力も伴わず、だからこそ簡単に投げ出すことができたのかもしれない

たくさんのことから逃げてきたが、全て無駄になったとは言えないような気もする

水泳
初めは水に顔をつけることもできなかったが、自己流で25mは泳げるように
仕事でイルカと泳ぐ経験もできた
辞めたことで、自分が運動音痴だと早めに自覚できた

習字
小学校の頃は賞を貰えてお小遣いをもらえた
辞めたことで得たことはゲームの時間くらいかな…

茶道
基礎の基礎の作法(例えば畳の縁や敷居は踏まない)はだけは理解した
辞めて得たことは、こちらもゲームの時間かもしれない…

ピアノ
絶対音感が身につき、ほとんどの曲は弾けるようになったため、大学に入ってバンドサークルに入ってもすぐにキーボードで参加できた
辞めて得たのは…受験勉強の時間、そして、自分が才能がない人間だという自覚

このように習い事の例については、逃げても行き止まりにはならないと言える気がする
そして、今流行りの
「辛かったら、逃げてもいいんだよ」
という言葉を若者たちに胸を張っていうことができる(何を偉そうに)

でもね、全部が全部、「逃げてもいいんだよ」

とは、私には言えない コワイ

そのことを理解したのはオトナになってから、それも本当に最近のお話

また明日、お付き合いください

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