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「だってハック、みんなそうやってるんだぜ」 「そんなの関係ねえよ。俺は『みんな』じゃない、あんなの我慢できねえんだよ。」 2020/06/08

 月曜日はいつだって慌ただしい、売上見て、各所からの報告を聞いて、と始まってしまうと大体ノンストップなので。おまけにワンオペだったりすると、昼時は段取りを練り上げておかないと乗り切れない。この会議の合間にそうめん茹でて、隣で上の子に昼めし食わせながら、この会議は絶対に時間通りに終わらせないと下の子の保育園のお迎えに間に合わないんだよね、あ、よし、ちょっと早く終わったから間に合いそう、そうそう帰りに氷買ってこないと切れてるんだった、コンビニ寄ってついでに買った唐揚げつまんで自分の昼食替わりにして、さて次の会議、みたいなことしてるととりあえず夕方で、はてさて晩御飯どうしよう。

 自粛期間中の子持ち在宅ワークの大変さってのは、子供が家にいることもあって、生活と仕事がぐちゃぐちゃに入り乱れるところにあるんだろうなと思っていて、細かくスイッチ切り替えながらやらないといけないのでそれでグッタリしてしまうことがあったとしても仕方ないことなので、まぁしょうがないやーくらいに思っていればいいと思うのだけど、人によってはなんか申し訳なさそうにしていたりするから、そんなの全然気にしなくて良いよ、と思ったりする。

 古典的な名作を読みたい気分、第1弾は『モンテ・クリスト伯』だったのだけど、第2弾は『トム・ソーヤの冒険』を選んでみた。新潮文庫の柴田元幸版。

 まあ何だかんだ言ってもこの世界そう捨てたもんじゃないな、とトムは独り想った。人間の行動をめぐる大きな法則を、彼は我知らず発見したのだった。すなわち、相手が大人であれ子供であれ、何かを欲しがらせるには、それを手に入れるのを困離にすれば事足りる。
マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』P.33

 マーケティングの話でそういえばトム・ソーヤの話を聞いたことがあったような気がしないでもないのであぁ、これかという感じ。叔母さんに言いつけられた壁の漆喰塗りという重労働をあたかも自分の特権であるかのように振る舞い、やらせてくれと頼まれても渋る、そうすると人は益々やらせて欲しくなって、自分から対価を払ってでもやろうとする、そんなようなエピソード。やっちゃダメといえばやりたくなるし、みちゃダメといえば見たくなる。禁止は欲求を助長する。てかそんなエピソードが手を替え品を替え出てくるんだけど『トム・ソーヤの冒険』ってそういう話なんだっけか?

 トムは学習板に、少女から隠しながら何か言葉を書きはじめた。今度は少女も臆さなかった。見せてよ、と彼女はせがんだ。トムは言ったーー
 「いいや、何でもないよ」
 「何でもあるわよ」
 「何でもないって。見ても仕方ないよ」
 「仕方あるわよ、見たいのよ。ねえ、見せてよ」
 「言いつける気だろ」
 「言いつけない。嘘ついたら針千本飲ませていいから」
 「絶対誰にも言わない? 死ぬまで絶対言わない?」
 「うん、絶対誰にも言わない。さあ、見せてよ」
 「いや、見たって仕方ないって!」
 「何よ、そんなに言うんだったら、無理矢理見るわよ」。そして少女は小さな手をトムの手に重ね、小競りあいが生じ、トムは本気で抵抗するそぶりを見せたが実は少しずつ手をずらしていき、やがてこの言葉が現れたーー"I love you."
 「まぁ、悪い子ねえ!」。そして少女はトムの手をぴしゃっと叩いたが、それでも顔は赤らみ、満更でもなさそうだった。
マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』P.90 - 91

 なんとも瑞々しいやり取りでいいなぁと思いつつ、思っていたよりもこいつマセているな、というか一体何歳なんだろうという疑問が湧いてくるのだけど、こいつ何歳だろうという?という疑問には永遠に答えはないわけで、トム・ソーヤに関しては年齢や身長など、具体的なことは何も明示されていない。トム・ソーヤの年齢はあえて書かれていないってのは読んでみないとわからない発見だった。

 というか、トム・ソーヤって結構、「普通」。主人公が「普通」っていうのはちょっと現代的かもしれない。妖怪ウォッチの主人公のケイタくんは「普通」がキーワードのキャラクターなのだけど、それは今時の子供たちにとって、共感できる対象が模範的、ヒーロー的な主人公ではなくてむしろ「普通」の子っていうような話が当時あったなぁ、などと思ったわけで、妖怪ウォッチブームも一昔前か、と思うとそれからしばらく経過した今、小学生の感覚ってどうなっているんだろう、ってのが気になる。

 その記章の華やかさに惹かれて、新たに結成された節制少年団にトムは入団した。団員であるかぎり煙草も喫わず、噛まず、汚い言葉も口にしないと誓った。そしていま、新しい発見を彼は為した。すなわち、何かをしませんと約束することは、正にそれをやりたくて仕方なくなるための一番確実な手段なのである。
マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』P.248

 この小説の隠れテーマなのかってくらい、この禁止と欲求の関係が随所に出てくるのだけど、話してはいけない秘密とその開示ってのも禁止の話だし、まぁテーマなんだろうな。

 「未亡人ときたら鐘に合わせて飯食って、鏡に合わせて寝床に入って、鐘に合わせて起きるーー何もかもものすごく規則正しくて、我慢できねえよ」
 「だってハック、みんなそうやってるんだぜ」
 「そんなの関係ねえよ。俺は『みんな』じゃない、あんなの我慢できねえんだよ。」
マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』P.380

 トム・ソーヤとハックルベリー・フィンの違いが端的に現れていて、それは両キャラクターのみならず、両作品の違いでもありそうな気がする。結局トム・ソーヤは『みんな』のことがわかっているし、合わせようと思えば合わせられる。あくまでも社会とか共同体の中で生きていける人で、その世界の中で生きていける範囲のいたずら、わんぱく小僧なので、とても普遍的で普通で、いまいち『トム・ソーヤの冒険』が面白くないのもそこに起因しているのかもしれない。かたやハックは、完全にアウトローなんだな。『ハックルベリー・フィンの冒険』がにわかに楽しみになってきた。

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