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私はライターだ。私の意志において。なぜなら私は揺れているから。なぜなら私の体は勝手に揺れるから。 2021/01/01

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いしますという気持ちはあるのだけど、年が変わった、という変わった感がいつもより乏しいのはなぜだろう。

 例年、一年の計は元旦にありということで目標を定めていたのだけど、今年は具体的な目標を定めようという気分にならない。目標に向かって頑張るというということ自体が固すぎる感じがして、なんというか気分じゃないのだけど、それは昨年、コロナによって外部環境が激変する中で、コロナ以前に立てた目標などというものがあまり意味ないじゃんと思ったことにもよるのかもしれない。前提が変わっていくタイミングだから、しなやかに変化し続けていくことが大事なんだろうな、と思っているからなのかもしれないし、なんとなくそういうのが風の時代ぽくて良い気がする、というのもあるかもしれない。

 お雑煮が好きだから、正月は楽しみだ。餅を二個食べた。殺人食材だが、餅は美味しい。もちもちしているという言葉は餅から来ているんだろう。餅は、いつ食べてももちもちしている。

 夕食は妻がステーキを焼いてくれた。美味しくいただいた後で考えてみたらこれって丑年だから??干支ディナー?今年はたくさん焼肉食べちゃうということか?体重が順調に増えている。ひたすら飲んで食べて動かないとすぐに太るもんなんだなぁ、と思う。まぁ、仕事始まったらどうにかしよう。

 子供が寝てから「The Last of Us」を始めたのだけど、こういうゲーム苦手なんだよなぁ、そもそも怖いの苦手だし、ゾンビっぽいのも嫌い。でも評判のストーリーは気になるからYou Tubeで探したらすぐに見つかった。もうこれでいい。

 滝口悠生『やがて忘れる過程の途中』を引き続き読んでいる。すこぶる良い。初対面の人同士が言葉も不自由な中でも関係性を築いていくドキュメント。

  私の手の揺れが書くことに導いた。はじめ、それは、私がクラスメイトから受けたいじめから逃れ、孤独にたえるためのものだった。そして、私は、書くことは、別のボーダーへの通路であることを知った。書くことは、お茶のカップをまっすぐ口に運んだり、鉛筆で穏やかな形を描いたり、いま手にしているこの紙を静かに持っていることを防げる障害を乗り越えて、私が自分自身について話すことを可能にしてくれた。
 望まざるもののうち、揺れはいつでも最も意志的なものだった。
 私はライターだ。私の意志において。なぜなら私は揺れているから。なぜなら私の体は勝手に揺れるから。
滝口悠生『やがて忘れる過程の途中』P.96 - P.97


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