なにが書かれていてもよいけれど、その支えみたいなものとしての日付がほしい、そんな気がする。 2020/05/22

 妻が出勤日なので、今日はいわゆるワンオペ在宅勤務というハードワークな日なのだけど、花金なので頑張ろうと自分を鼓舞しながら、本を読んだが、なんか調子が出ないので、「リングフィットアドベンチャー」で汗をかきテンションを上げようとしてみている、そんなスタートだった。空もどんよりしている。

 読みたい本はたくさんあるはずなのに、どうにも新しいものに手をつける気がしなくて、子供が読んでいる杉山亮「○○は名探偵」シリーズ読破チャレンジを再開してみたりした。そしてなんと新作が出ている。

 主人公のミルキー杉山はどちらかと言うと迷探偵なのだが、探偵だけでは食えなくて働いたり、妻のたつ子とは訳あって別居していたりするのだけど、この別居の理由も特に明かされないままなのがいい。かつてこのようなことを呟いておられた。

 これはとても大切なことのような気がする。人の「業」としか言えないものを程度の強弱はあるかもしれないけれど人は誰しも持っているわけで。ミルキー杉山も探偵をやめられない「業」に取り憑かれているとも言えるし、子供向けの作品ではあるけれど何かそこはかとなく漂うものがあるのだ。それでいてとぼけた味わいが残る。事件編と解答編に分けて書かれた構成も古い探偵小説のようでもある。

 そういえば、探偵といえばルーペなのだけど、小学校の課題で種の観察にルーペが必要だと突然言われた。そんなもん家庭に常備してある訳なかろうが、と思ったけど、ひょっとしてみんな持ってるの?はづきルーペじゃないよ、虫眼鏡。まぁちょっと虫眼鏡なくても気合いで近づいて見てみなよ、と言ってみたものの、ホウセンカの種はキウイの種を一回り小さくしたくらい小さくて、気合いではどうしようもならないな、とも思ったので、夕飯の買い出しをしながら100円ショップに立ち寄ったら売っていた。

 ホウセンカといえば鳳仙花、なのであって、それは中上健次の名作をふわっと思い出させるには十分なきっかけだった。自分が読んだときは新潮文庫版だったが、今見ると小学館が電子全集なるものを敢行している。作家の全集はもうなかなか紙で出すのは難しいのだろうし、今後はこういった形のものが増えていくのだと思うのだけど、なんとも味気ない気もする。

 そのままお楽しみの阿久津隆『読書の日記』を読んだ。6月くらいから読み出す。何が楽しいとうまく言えないけれど楽しい。読むのが楽しい。読んでいるうちに、ふと自分の誕生日には何が書かれているのか気になってきて、このままそこまで読み進めようと思ってたどり着いたのだけど、その日は「完膚なきまでに暇」な日であったらしく、8行しか書かれていなかった。そう言えば、生まれた日のスヌーピーも読んだけれど、思い出せないくらい地味な話だったなぁ、なんてことも思い出して楽しくなってきた。

 やはり日記が必要だったのではないか。日付というなんというのだろう楔みたいなものが、僕には必要だったのではないか。(中略)物のつぎ目に打ってとめたりする、輪がはずれないようにする、そういうものが必要で、日付がなにかを保証してくれる。気がする。なにが書かれていてもよいけれど、その支えみたいなものとしての日付がほしい、そんな気がする。
阿久津隆『読書の日記』P.785

 日付という楔ってのがずっっと頭の片隅に残っていて、どこに書いてあったっけってまた遡りながら読んでいた。なかなか見つけ出すのは難しいのだけど、見つけてとてもすっきりとした気持ちになった。『読書の日記』に出てきたジョン・マグレガー『奇跡も語るものがいなければ』を買った。 

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。