静寂という贅沢

窓の外で、雨粒が土に降り注ぐ優しい音がする。自然の音だ。すごく心地がいい。

おれは郊外の安アパートに一人で住んでいる。新宿まで私鉄で45分程の場所。都内で働き、都内で遊ぶことの多いおれにとっては、正直、都心に住む方が都合が良い。

それでもなぜココに住み続けているかというと、いくつかの理由がある。

一つ目は地元であること。両親はそこそこ年をとっており、いつ何が起こるかわからない。自分は長男のため、夜でも実家にかけつけやすいところに住んでいる。また、小中学校の同級生の多くが今も地元に住んでいるため、集まるのには何かと便利であることも大きい。

二つ目は車があること。自分一人で都心に住むことはできるが、そのためには車を手放す必要が出てくる。都心の駐車場が高いのだ。おれは車に乗るのが好きだから手放したくない。そのため郊外に住むほうが都合が良い。

三つ目は家賃が安い上に部屋が広いこと。今は一人で2DKの駐車場付の部屋に住んでいるが、家賃は都心の1ルーム程度である。アクセスの利便性は捨てたが、その代わりにゆったりとした生活スペースを確保できた。

そして四つ目の理由。今の部屋に限るが、とにかく静かであることだ。この部屋に引っ越してきた2年前、あまりの静かさに驚いた。

おれの安アパートは住宅街の行き止まりにあるため、部屋の外に車通り・人通りがない。この建物まで来るのはアパートの住人か宅配業者かポスティングスタッフくらいだ。昼も夜もとにかく静かである。

以前に住んでいたアパートやマンションは、大通りに面していたり、駅が近かったりしたので、パトカーや救急車のサイレン、酔っぱらいや不良たちの叫び声が聞こえてくる住環境であった。それが普通だと思っていた。

今は雨音が聴こえるだけの部屋である。静かな部屋は本当によく眠れるし、起きている間もリラックスできる。

部屋に一人でいる間、自分が世界から置き去りにされたような気持ちになる。昔のおれなら、きっと不安を覚えたことだろう。筒井康隆の『東海道戦争』という小説では、主人公が朝起きたら日本を二分した(関東VS関西の)戦争が始まっていた。

これがなかなか怖く、自分が寝ている間に世界が大きく変わっていたらどうしよう?何か重大な事件が知らぬ間に発生していたらどうしよう?という不安を抱えながら眠る時期があった。

起きたらすぐにTVをつけニュースを観る。世界は寝る前と変わらぬ状態でそこにあるだろうか?ドキドキしながら確認するのが朝の日課であった。

今はどうか。そんな習慣はなくなった。
寝ている間に何が起きようがどうでもいい。世界は勝手におれを置き去りにして進んでくれて構わない。おれはそれにキャッチアップするかも知れないし、しないかも知れない。あまり興味がないというのが正直なところだ。それよりもゆっくり眠りたい。

静かな部屋で電気を消し、完全な暗闇の中で目をつぶる。脳がゆっくりシャットダウンするのを感じる。そしておれは世界からログアウトする。

目をパチリと覚ました時、おれはまた世界にログインする。この感覚が大事だなと感じる。以前は寝ている間は文字通りスリープ状態で、完全にはログアウトできていなかった。

脳をシャットダウンすることで、おれはきちんと休めていると思う。そのために静寂が必要なのだ。世界に放っておいてもらえる時間。同時におれが世界を無視する時間。

都心に通うには不便であるが、こんな不便な場所だからこそ、これだけ贅沢な静寂を得られるのだと思うと、なかなか引っ越しする気にはなれないといったところだ。

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