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もし、命を大切にできなかったとしても

もし、命を大切にできなかったとしても。
もし、自分をいたわれなかったとしても。
もし、自暴自棄や無気力であったとしても。

それでもこれまで生きてきたあなたを僕は尊く思う。
どんな困難な環境のなかでもどうにか生きてきたあなたを僕は労いたいんじゃ。

「いままで、よくがんばったね」

◆◆◆

「生き抜いてください」
「あなたには権利がある」
「命を大切にして」
「生活保護を利用してください!なにも恥ずべきことではありません」

この社会状況のなかで、こんな言葉がかけられる。明るく前向きな著名人やら、困窮した人をサポートする支援団体やら。それはそれでいいと思う。

けれど一方で、自分という存在を軽んじられてきた人=もうすでに自分の命なんてどうでもいい人にはそれらの言葉はなかなか届かないんだなあと。

主に10代を支援している認定NPO法人「3keys」代表の森山誉恵さんの取材記事を読んで思わされた。

「『高齢者や周りの人の命を大切にしよう』という呼びかけがされていますが、大人に大切にされた経験がなく、さんざん傷つけられてきた子どもたちには響きにくいです」

「自己肯定感が非常に低い子たちにとっては、自分の命でさえ、ましてや他の人の命を大切にするという感覚をリアルにもつことが、とても難しいのです」

なにも10代や子供だけの話ではないと思う。
大人に大切にされなかった子供が大きくなって、どうにかサバイブしてきた大人たちがそこかしこにいるだろう。
そんな大人たちにも「命を大切に」なんて言葉は届かないんだなあって。
むしろ、そもそもすでに命を大切にしてない人にとっては排除の言葉に聞こえるかもしれない。

「命を大切にできない私はダメですか?」
「自分をいたわれない私は対象外ですか?」
「好きで生きる気力がなくなったわけじゃないのに」
「望んで自暴自棄になったんじゃねーよ」

◆◆◆

じゃあ、どうしたらいいんだろう?
いろんな境遇の人がいる、一様じゃない。だから、前向きな言葉・強い言葉だけが発せされるんじゃなく、いろんな言葉が萎縮することなく行き交うことが必要なんだと思うのよ。いろんな言葉がいろんな人に届くように。

今、命を大切にできないでいる人には僕はこう声をかけたい。

そんな環境で生きてたら命を大切にできなくて当然だよね。そりゃそうだよね、好きで無気力になる人なんていないよね。傷ついたりとても嫌なことがあったんだよね。そんな目にあったら、自暴自棄にもなるし、死にたくもなるよね。

そんな状況のなかであなたは今も生きてる、死んでない、まわりの誰かに危害を与えてない、ぶん殴ってない。
よくがんばったね。そんながんばってきたあなたをまずは認めましょ。
がんばって、こらえて、生きてきたあなたがいる。
そんなあなたを労いましょ。

◆◆◆

自分で自分を認める、オッケーを出す。
あるいは、信頼できる誰かに労いの言葉をかけてもらう。
それだけでも、たぶん、きっときっと。

もし、命を大切にできなかったとしても。
もし、自分をいたわれなかったとしても。
もし、自暴自棄や無気力であったとしても。

それでもこれまで生きてきたあなたを僕は尊く思う。
どんな困難な環境のなかでもどうにか生きてきたあなたを僕は労いたいんじゃ。

「いままで、よくがんばったね」


◆◆◆

「soar」でも3keysの森山さんの記事がアップされてたのでこちらも。


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