「えっ!ここにあったの!!」未来のありかが"ココ"にあるとハッキリわかった結果…
次の指標を示す"楽しい未来(情報)"のありかとは?
僕たちにとっての楽しい未来がわかれば、色々な情報に惑わされず、集中して楽しい未来を現実にできる。楽しい未来が現実になったときほど、味わう喜びは表現のしようがないくらいうれしい。
自分にとって「次の未来」を探るため、自問する。本を読む、人と話をする。どこかに出かける……が、
な、なに、未来が「どこにも」ない……
僕はクリエイターだ。自ら何かを作り、形を成していく。
僕にとって最大の悩みは
「何が多くの人に受けるのか」
未来さえわかれば、僕の仕事は未来を形作る(=受ける作品を創り上げる)とわかる。未来は0→1作りに似ている。
とはいえ、未来はわからない。問いかけてもわからないし、聞いても(有料/無料)ピンとこないし、いくらいいものを作っても受けるとは限らない。むしろ裏切られた結果を何度も味わっている。
「これだ」という未来がどこにもない。僕にとっては大きな絶望だった……失敗に出会うまでは!
まじめがもたらした失敗、そして…
記事タイトルを変更する行為、ただの変更でなく「ワクワクとドキドキの両方」を詰め込んだ内容は、今まで意識していなかったので、僕に衝撃を与えた。
僕は二つの条件で記事を書いた。一つはまじめに、もう一つはまじめを捨てて、少しでもエンターテイメントな雰囲気で。
書いている内容に大きな差はない。
しかし訪問者数には影響が出た。
僕から見てまじめな記事はしくじった。なので失敗を基に次はまじめとは程遠い演出を行った。
すると自分によって予想もしない値が出た。
ワクワクとドキドキを入れる。今までの自分になかった……いや、あったんだけど、記事を書くときにワクワクドキドキを入れないと「自分で決めていた(分けていた)」だけだった。
なおワクワクとドキドキについて定義すると…
ワクワク:夢あふれる内容
ドキドキ:自分に焦りをもたらす内容
ふと、僕は次の疑問を抱いた。
ワクワクとドキドキは「どこ」からやってきたのか?
ワクワクとドキドキは知らない間にやってきた……のではない。
まじめに書いて失敗した。次はまじめに書きながらも、一度書いたまじめを書き直し、なるべく面白い方向に書いてみようと意識した。
普段の僕はまじめな人間と思っている。他人が僕をどう見るかは自由。僕が僕をどう見るかが重要であり、僕はまじめな人間だと捉えている。
普段がまじめだからこそ、まじめに書く行為は当たり前であり、頭を使わないし、どちらかと言えば楽である。
一方タイトルをまじめから遊び要素を入れ、馬鹿っぽく、ところどころ演出を加えると、今までとは違う頭の使い方に変わる。
まず意識が変わり、次に頭の使い方が変わると、言葉も変わる。
最初に面白い・面白くするにはと意識する姿勢が重要で、後はモノが落ちる用にどんどん面白い方向に考えや言葉が出てくるのではないか?
一方、こういう時もあった。
面白い意識を持っても、何も楽しい考えが浮かばん…
いくら言葉で「面白い、面白くする」など意識を変えようとしても、面白い考えや言葉など出てこないときもある。
どうすればいいのか。外を歩くなり、人と話をするなり、本を読むなり、思索にふけていればいいのか。
確かにこれらでも出てくるときはあるが、たいていは出てこない。むしろ自分を追い詰める言葉がぽんぽん出てくる。
ふと思った。
自分を追い詰める、自分の評価を下げる言葉など、どこからやってくるのか……
いや、"わざと"自分で呼び寄せていないか?
自分の評価を下げる言葉など根拠はないが、ふと口に出てしまう時がある。口に出てしまうのでなく、むしろすすんで口に出しているのではないか?
自分を下げれば「今の位置」にとどまれるから。変化しなくていいから。甘えてていいから。
自分で呼び寄せる……言葉が出てきたとき、すぐさま次の考えが浮かんだ。
楽しみが浮かばないなら、先に楽しみとなる言葉をポンポン作っていけばいいのではないか。言葉を出したときに生じる考えなど、後回しどころか無視していい。
僕にとって目的と手段を入れ替えた。
すると……お、おおおお、ワクワクドキドキが戻ってきた。
むしろ「それだよそれ」自分が自分に言っている感じだった。
この時、僕は一つの仮説がぴいいいいいいぃぃぃぃんと浮かんだ。
未来は「頭の外」にあった(=過去は「頭の中」にある)
自問こそが「過去に答えを求める」自分だった。
未来に答えを求めるために、過去の自分(=自問自答)に答えを求めようとしても、出てくる答えは「過去の出来事・考え方」のみだった。過去の出来事は現在を捉えていないため、世の流れも読めていない。
次の仮説を言葉にした瞬間、すごく心が軽くなった。軽くなった原因について、僕は次のように考えた。
未来を探る・つかむための自問癖を辞めた。自問しても本当に求める答えが出てこないとはっきりわかったからだ。
おかげで今、すごく気楽に生きている。
裏を返すと普段から自問を通して、自分に重圧をかけていたんだなあと。答えられないのに無理やり答えを出せ、だもの。
精神負担を取り除いたからこそ、僕はさらに面白い考えが浮かんだ。面白い考えは次語る。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます