タイトルに濃密な夢とワックワクとドッキドキを詰め込んだら、より多くの人が読んで、人生を変えさせられた
こ、これは……は、ははは
数週間前、久しぶりにnoteで記事を書いた。
タイトルは上記画像を見てほしい。
思って、久しぶりにnoteへ記した。翌日見ると5人が見てくれた。ありがたい。一方で一桁は久しぶりに見た数字であり「お、おおお」と声が出てしまったw
「失敗」という言葉が浮かんだ。
僕にとって失敗は別の実験ができる機会でもある。
すぐさま次の記事を書きたくなった。
ただし記事を上げる前に前回と違う状況を試してみた。
試した内容としてはこちら。
記事を上げる前にタイトルを検討した。普通に浮かんだタイトルとして「記事に夢を入れてみよう」だった。没。当たり前すぎて言葉からエンタメ感がないと判断したからだ。
少しでも面白さを持たせるため、記事を読まないと正体がわからないよう、夢の部分を指示語に変えた。少し気になった。でも僕にとってありきたりだ。
言葉をつけたり消したりした。大げさに書いてみた。
”コレ"を入れるだけで読者が釘付けになりのめりこむコツ
もっと大げさにしていいんじゃないか?
すると……
それ以上大げさな表現はいかがなものか?
自分の中でためらいの気持ちが生まれた。
「あまりにも誇張表現だし、確定した根拠もない。気持ちだけが先走っているではないか。炎上するだけだぞ。失望させるだけだ」
ためらいの気持ち=現実思考が押し寄せる。
しかし今回は現実を無視した。慎重に進むのでなく、大胆に傷つきながらも進む道をとった。現実的に考える僕は傷つきたくないから、引き戻し感もたくさん生じた。
現実と妥協していたら、タイトルは次に決まっただろう。
”コレ"を入れるだけで読者を刺激するコツ
ギリギリセーフと言えるが、誇張表現つけまくりのタイトルと違って、面白さやワクワクが生じない。
自分の心は落ち着く一方、崖から飛び降りるようなドキドキのスリルもない。
何よりこのタイトルだと、僕の中にいる「別の僕(=魂とか)」が言う。
「うまく説明できんが面白くないんだよ、やり直し」
現実に妥協すると「面白くないんだよ」文句をつける僕がいるし、
現実を無視して誇張したタイトルをつけると「嘘をつくのはやめろ、誇張表現を書くのはやめろ。訴えられるぞ」など自分を脅す僕もいる。
どっちの道に進もうとも文句・批判・恫喝が出る。
どっちでも文句が出るなら「面白い・ドキドキ・ワクワク」な道にいこう。覚悟を決めた。もっと飛び込んでやる。アウトでいい。思いっきり飛び込んでやる。
そしてタイトルができた。
”超簡単なコレ"を入れるだけで読者がメッッッチャ釘付けになりのめりこむコツ
超簡単、めっちゃなど、かなり誇張表現を入れている。さすがに誇大すぎて笑った。同時にビビりも生じた。
記事を上げた後、僕は寝る前につぶやいた。
「冒険した。ドキドキする。もっと面白いタイトルがあったら変更したいくらいだ。明日、どういうデータが出るだろう?
どちらにしろ僕の人生は変わる。現実に向けて記事を書くべき(=生きる)べきか。100%エンターテイメントに身をゆだねた生き方をとるべきか」
翌日、次のデータを得た。
お。おおお……2、2倍以上やんけ…
タイトルを変えただけ……いや、タイトルはあくまでも結果だ。本当に変えた部分は僕の意識・考え方・前提だ。
意識の差が数字となって表れた。そして僕はビジネス意識を手放していいと確信できた。いや、まじめに考えすぎる意識のほうがいいのだろうか?
ビジネス意識を手放す話はこちらで書いている。
100%エンターテイメントに身をゆだねる生き方でいいんだと悟った。エンターテイメントに身をゆだねるといっても、僕の意識の話だ。
現在僕はエンターテイメントの一つとしてゲームを作っているが、エンターテイメントにゲーム作成は本質でない。
数週間前の記事タイトル一つに見る、
「精神的な楽(ありのままを淡々と書く)を捨てて、少しでも面白く、おかしく、楽しく、ワクワクそしてドキドキな態度で仕事に接する」生き方が本質だ。
普段の生活・仕事への接し方に「エンタメ」意識を入れる生き方こそ、今後僕にとって重要で、忘れたくもずらしたくもない生活習慣なんだ!。
今日の記事で、あなたの心に何かくるものがあったら、参考にしてほしい。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます