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ガチで怖すぎてチビった話!セールスと商品(作品)は「同じ」だった!

世の中、怖い話はいろいろある。お化け、やーさん、そして陰謀…

「自分の価値観、信じていた事柄、当たり前に受け止めていた事柄が、実は違っているとわかった」瞬間が最も怖い

理由は簡単だ。常識が変わり、思考はもちろん行動すべてに直結する。「赤信号は停まる」から「赤信号は進む」に変わるほど、がらりと自分自身の世界観・仕組み・ルールが変わってしまう

僕が味わった怖い話を一つ伝えたい。
ぜひあなたも怖さに震えるだけでなく、
「なるほど、こういう考えもありだな」思ってほしい。


北野武監督作品「ソナチネ」が怖いんだけど

僕のインスタフォロワーが北野武映画「ソナチネ」に関する絵を描いた。ショックだった。北野武が笑いながら自分のこめかみに銃を当てているのだから。

頭がおかしくなったのか(あくまでも映画内の話ね、ビートたけしは普通に知っているからさ)」思ったよ。

早速YOUTUBEなどで「ソナチネ」を調べた。予告はもちろん、YOUTUBEには動画の切り抜きシーンがあった。
もちろんブログにはネタバレ含むストーリー及び感想もあった。

先に述べて置く。YOUTUBEにあるソナチネ動画は公式サイト経由のものでなく、どこかの第三者が切り取った動画だ、という事実だけは書いておく。

ソナチネのワンシーン

実際に武が微笑んで自分のこめかみに銃を突き付けている。
(今日のトップ画像もこれ)画像キャプチャーはこちらから。

お化けが出るわけではないし、事前に武(組長役)が銃弾をすべて抜いた状態で、ロシアンルーレットごっこをやっているから「安心」なはずなのに、演出のおかげで「本当にここで死んでしまうのでないか?」恐怖が湧きたってくる

ソナチネのストーリー:武演じる村川組がいる。
ある日、親分から「沖縄でうちの仲間たちが別の組から狙われている、助けにいってくれ」
沖縄にいったところ、激しい抗争にあって村川組の組員がなくなっていく。残った組員らで逃亡した先が沖縄の砂浜だった。特にやることもない(手打ちを済ませるまで潜伏)から遊び、童心に帰っていくが……(以降省略)

上記動画シーンはやることがなくて童心に帰り、遊んでいるシーンだ。重要な情報として、武組長は「人生に疲れちゃった」なセリフを述べており、すでに死への願望をにおわせていた。

演出において、まず武が微笑んでいる。ただ微笑んでいるのでなく、一瞬まじめな表情を浮かべたのち、微笑むんだ。
二人の組員は「ま、まさか、死ぬのでは」疑っている。音が「しゅうっ」としぼんでいき、とてつもない緊張が走る。

メイキング動画(YOUTUBEにあった)も見ると、北野武さんは脚本に一行を書いて、その場で演出を考え、試行錯誤している。

  • 青と赤、遊びと暴力の対比

  • セリフが少ない分、動きや情景で視聴者に察してもらう「非言語化による説明(考えるな、感じろ)」

  • 何気ないシーンが後に大きな影響を与える「暗示」

  • 何気ないシーンが後にドえらいシーンとなる「重層的な演出

※武組長が自分の頭にこめかみを突き付けているシーンはラストへの暗示。ラストでは車の中でオートマチック銃を使い、ためらいなく自分のこめかみを狙って発砲する。
また上記動画では二人の組員がじゃんけんをしているが、これも視聴者曰く暗示だそうだ。実際にじゃんけんで負けたほうが、後に殺し屋の手で始末されるので。

たった2分30秒のシーンにたくさんの情報、芸術表現、暗示が現れている。全体(90)のごく一部であり、仮に公式がこの2分30秒を予告あるいはサービス程度で流したら、まず「何があったんだろう」思ってしまう。

と、ここで僕は気づいた。


作品(商品)とセールスは切り分けるものでなく、むしろ一緒と見るべきなんだな。

僕は作品とセールスは別物、という意識があった。
セールスはセールスで考え、商品は商品で考える

思考の仕方が違うというか。

商品を作ったのち、次はセールスのために「別の考え」を持って取り組んでいた。

商品(作品)は真実や顧客の欲しい・求めているモノをひたすら描いていき、セールスは顧客が求めるであろう「どうしてこれを手にすべきか」を描き、購入判断を迫っていく行為と、自分の思考は別々のものとして切り分けていた。

が、ソナチネの映画一部を見て考えががらりと変わった。

「むしろセールスも商品も同じ思考でやればいいんだ。いちいち考え方を切り分ける必要がないんだ。商品こそセールスそのものであり、セールスそのものこそ商品なんだ」

2分30秒の本編がそのまま「もっと知りたい人はDVDを手にしろよ(現時点で有料配信はしていないそうだ、残念すぎる)」セールスにもつながっているし、同時に商品の一部となっている。

100以上のメリットを語るよりも、100人中100人が一発でわかる、たった一つの衝撃を魅せたほうが、心も大いに動かされる(少なくとも僕は動かされた)。

北野武監督の演出を見て、他の武作品についても調べるようになった(北野監督に魅力を抱いた)。

ソナチネは日本での興行成績が悪く、翌年バイク事故を起こして死の淵をさまよったと聞く。
暴力シーンが多いので、グロテスクとか血なまぐささを拒む人は、まず見ないだろう。唐突に死んでいくからね。予告なしの死は恐怖でしかないよ。一応伏線はあるんだけど、伏線が死亡フラグでなく、むしろミスリードで騙されるんだよ。
他にも芸術背景を知っていないと楽しめないんじゃないかと思う。青と赤の対比をはじめ、暗示やセリフの少なさ(情景を読めという意味)から、セリフに慣れている人からすると、あまり面白さを感じないだろう。例えるなら大学入試試験に出てくる小説問題だ。

ソナチネを上映していた時、僕はまだ子供だった。ほとんど覚えていない。

一方欧州では高く評価された。西欧芸術の土壌が深く根付いており、日本と違う芸術文化があるため、ソナチネにある演出や対比表現を見たとき、ある人は絵を、彫刻を、音楽を……別の芸術を頭に置いたうえで、鑑賞できたのではないか?

勝手に思っている。

年を取り、僕も芸術方面に手を伸ばし、ビジネスと同時並行で試行錯誤しているからこそ、北野武監督作品のすごさ、演出での恐ろしさがわかった。

クリエイターとして「こんな表現技法があったのか」と勉強になり、メモを取ったよ。


今、こうして僕が北野武監督、ソナチネについて語った。もしあなたがソナチネを知っているなら、懐かしさを抱くかもしれない。

懐かしさから「あの頃を振り返るべく」色々調べるかもしれない。

もしソナチネを知らなければ、武が微笑みながらこめかみに銃を突きつけるシーンを見て、ショックを受けるかもしれない。

ショックを受けたら詳細が知りたくなり、数日前の僕と同じ行動=あらゆるサイトやYOUTUBEなどを使って調べまくる日々が続くだろう。

上記動画に加えて、武組長の最期を見た日は寝られなかったからね。怖さとそして芸術的感性の美しさ、表現技法のすごさなど、至る方面でショックを受けたから。

大したショックも受けず「へえ」思っているなら、僕は信じられない。いいんだよ、それでも。僕が信じられないと思うだけだから。

僕はショックを受けた。ショックから回復すべく、必死で回復につながる行動=情報収集を行った。

商品=セールス=作品であり、作品のごく一部切り取りを見て、僕は動かされた=誰からもセールスされていないのに、動画を通して自分の中にいる存在(魂や潜在意識、ご先祖様など)が自分(顕在意識、今ここを読んでいるあなた)にセールスをかけ、DVD含めた詳細を知るべく行動したわけだ。

たった一つのショッキングなシーン(作品)から、誰も僕に「これを買いなさい」言っていないのに、僕自身がどこからか「これを買いなさい」セールスをかけられ、手に取ってしまう……

十分怖いことだと考えている一方で、今の自分を大きく崩す一歩だとも思っている(己の未来を変える、未知の領域に手を突っ込むという意味での怖さもある)


「知らない間に、あなたの中にいる別の自分が、今こうして記事を書いている自分(今ここを読んでいるあなた)に何かを誘導する」


この現象について、もう一つ恐ろしい状態に気づいた。

売り手と買い手、書き手と読み手の関係を通して「支配と自由」が見えた、いや、気づいてしまったのだけど、うまく説明できなくて、すごく試行錯誤をしている。

支配と自由の本質に気づき、自由を意識すると、
自分を追い詰めて不安に陥る日がなくなり、
現在の現実がどうであれ、己の世界を変えて現実にも影響を与える(=現実も変わってしまった)展開に出会える。

成功と失敗の区別がはっきりわかり、失敗が楽しいとすら感じてくる。

境目を知らない+意識していないから、いつまでもループな生き方を送ってしまう。ループを抜け出すのに必要な条件は「最初に意識」だ。意識の在り方を変えたもう一つの出来事を今、書いている。



支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます