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知的な障がいと発達障がい、てんかんのある娘Sと暮らしています。 これまでのこと、現状、…

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知的な障がいと発達障がい、てんかんのある娘Sと暮らしています。 これまでのこと、現状、私自身のことなど、書いていきます(^^)                               【保持資格】 介護福祉士 社会福祉士 介護支援専門員(ケアマネージャー)

最近の記事

22#【てんかん治療#6】

 側頭葉てんかんについてです。 娘Sは成人期になると月単位で(焦点発作)部分発作を起こしています。投薬治療を続けてましたが、症状は軽くなるものの、発作ゼロにはならなかったのです。  そしてこの発作、我が家では私と娘の日常生活にも支障を起こします😓  更にはこの正体不明の発作のせいで私達の人間関係にも悪影響を及ぼすのでした😓😓 …何故なら、本人は発作があって不調を訴えてるのに、他者には理解してもらえず、『気のせい』だとか、『ワザと起こしてる』とか言われちゃうんです。何

    • 21#【てんかん治療#5】

       【Sのてんかん歴】 0歳、1歳、3歳では発熱がある時に熱性痙攣を起こしています。  その後、10歳時、何でも無い時に、全般発作を起こし、この時点で『てんかん』と診断されました。  その後、15歳にも同じ様な全般発作があり、この時より抗てんかん薬を服用します。薬を飲み始めてからも、2年間の間に3回程、全般発作がありました。  意識喪失、片側の腕や黒眼挙上、痙攣の症状があり、5分も続いてはないと思いますが救急車を要請していました。  その後しばらく(3年程)は治って

      • 20#【てんかん治療#4】

         こちらの記事も20作目となりました。こんなに書きたいことがあったなんて…ビックリです🫢 【てんかん外科的治療】  そして…本題…と言いますが、 noteに記事を投稿するキッカケですが、娘Sはこの度、てんかんの手術を受けることとなりました。  これまでの検査の総合的な結果、完治する可能性が50〜60%と当初より低くなり、そして後遺症の可能性も否めないということで。  この手術を受けるかどうか悩みました。  そして今まで歩んできた道のり、現状の困難、過酷な検査入院を経てき

        • 19#【就労継続支援B型#2】

           生活介護施設を辞めた後、幸いにもすぐに通える場所が見つかるSです。  Sは昔から強運の持ち主です😃  おそらく、欲どうしさや雑念とかがなく何事も純粋な心で取り組むからなのでしょうか…。なので、くじ引きや抽選会はSに参加させるようにしています。…ってこの考えこそが欲どうしい😅  人間は大人になるにつれ、自己利益や忖度を考えてしまいます。  ところが知的な障がいがある場合、いつまでも純粋な心で本能の趣くままで生きている人が多いように思います。  そのような人と接すると、

        22#【てんかん治療#6】

          18#【就労継続支援B型#1】

           前回、書いたように生活介護施設は無事に退所することに決まりました😅   次はどうしようかと考えていた矢先、ママ友から「息子が通所先を変えたくて、今度、Sちゃん家の近くの就Bの事業所に見学に行くけど、一緒にどう?」と誘われました。  まぁ深くは考えてなかったのですが、せっかくなのでお供させてもらいました。  【ここで補足】  成人後の障がい者が働く、活動するにはいろいろなパターンがあります。  3年に1回の制度改正や地域性によって多少の違いがありますので一概には言えません

          18#【就労継続支援B型#1】

          17#【生活介護辞める】

           Sの通所拒否は本当に苦労しました。休みたいと言い出したら、うんと言うまで言い続けます。朝の迎え時に他の利用者さんをお待たせしたり職員さんにお手間を取らすことが続きます。   私は退職した後、わずが数ヶ月で前職に復帰します。働いて収入を得ないといけないのとSの状態が悪過ぎて他では就職不可能であった為、出勤できる日に出勤できる時間で…ということで単発のバイト人のように働かせていただきました。なので仕事のある日はSも作業所に行って貰わないと困ります。  そして、定期的にてんか

          17#【生活介護辞める】

          16#【てんかん#3焦点発作】

           しばらく、その後も生活介護施設(作業所)に通い続けますが、月単位(主に月経前)で部分発作が起こります。 『症状としては』  ⚪︎月に1回程度の頻度で起こる  ⚪︎寝入りばなや早朝が多い  ⚪︎本人も前兆などを感じてる様子  ⚪︎数秒間、意識喪失や意識が薄れる  ⚪︎微熱、頻脈、体のだるさ  ⚪︎発作後、食欲減退、鬱状態となる  ⚪︎2、3日後に回復する  ⚪︎発作は数回繰り返すこともある  ⚪︎本人は発作を自覚している  ⚪︎他者から見て発作の判断が難しい というような

          16#【てんかん#3焦点発作】

          15#【生活介護にて発作連発】

           新たに生活介護の施設に通い始めたSですが、通所して3日目から『てんかんのような発作がありますので迎えに来て下さい』と頻繁に連絡が入るようになります😵     意識喪失があったり、無かったり、痙攣したり、無かったり…発作の症状もさまざまでした。 私自身その場を見てないので、何が何だかわからず、とりあえず連絡があれば迎えに行く…を繰り返していました。  数ヶ月前から不安定な状態であり、今までにない部分発作(焦点発作)が出現して間もなく、本人の全く知らない場所で全く知らない人

          15#【生活介護にて発作連発】

          この辺りの話は感情を入れがち🫢 気をつけないとぶっちゃそう…🫨

          この辺りの話は感情を入れがち🫢 気をつけないとぶっちゃそう…🫨

          14#【生活介護】

           自立訓練を期日通り3月まで通うつもりでしたが、12月と1月に大きな発作があり、本人も不安がるようになりました。 それからは、車での送迎をするようになり、以前のように本人がグズグズ言って、車から降りない、行きたく無いと泣くなどの行為が始まりました。  そうなると、私の出勤時間も遅くなり気疲れも倍増です。 あくまでも善意により遅刻させてもらっているので、(勝手に遅れて勝手に早退するのを了承してもらっている😳)当然、職場では他の人に負担が掛かっている状態。日々、人手不足ではあっ

          14#【生活介護】

          13#【次の進路先】

           そんな不安定な中、『自立訓練』期日の2年目も終わりに近づき、その後の進路先を決めなければならない時期がやってきました。 もっとスムーズに決まるものと気楽に思ってましたが、結構大変でした。コロナ禍や本人が心身共に不安定でもあった為、難航しました。  そして、これ程までに親が自力で探さなければいけないとは思ってもいませんでした。  この頃は本当に相談する相手が居なかったです。 Sの度々起こる心身の不調をはじめ、新年度から通う事業所探しなど…。 (身内にしても今までも散々、S

          13#【次の進路先】

          12#【てんかん発作#2】

           そんな激動の中、今までとは少し違う、発作が見られるようになるのです。  本人は不調そうではあるけど、誰がみてもわかるような全身性のてんかん発作ではなく、意識喪失は秒単位で見られ、本人はしんどいと訴えるが、少し経つと普通の感じに戻るというような状態です。  ※1日に何度も同じ症状か見られることもあり、その後、鬱のような症状が2、3日続き、喋らず、微熱、食欲減退など状態が見られる。  これが、側頭葉てんかんの症状と確信診断されるまでは数年掛かりました。  そのような不調

          12#【てんかん発作#2】

          障がいのある子を育てていると、思ってもない事、予想外の出来事が多すぎる😨 そしていつまで経ってもそういう事の連続🫢

          障がいのある子を育てていると、思ってもない事、予想外の出来事が多すぎる😨 そしていつまで経ってもそういう事の連続🫢

          11#【学校卒業後から】

           そして卒業後の春からSは『自立訓練』に通いました。 少し、本人の能力では難しいとは思いましたが学校の雰囲気に似ていたし、2年という期限があるので、その間に先のことは考えたら良いわ〜。ぐらいの感覚でした。  ただ片道、4、50分掛かります。朝は通勤ラッシュであり、本人は産まれて初めて人にまみれて電車に乗るので、ビックリして泣いていました。  何とか空いてる時間を見つけて、付き添って行くことになりました。 徐々に付き添い距離を少なくして行くようにしました。  朝は送り、帰

          11#【学校卒業後から】

          10#【進路活動】

           その頃、支援学校卒業後の進路を決める為、いろいろな事業所の見学に行きました。  普段、仕事が忙しくて参観などの行事に行けないこともありましたが、この事業所見学にはせっせと足を運びました。  本人では決めれないし、私自身、自分の目で確かめたかったのです。  良いな〜と思う所が突然、閉所になっていたり…定員オーバーで入れなかったりしました。  学校卒業後は大人の世界。今までの何倍もの日々を過ごすので、もう少し、選択肢が多くても良いのでは?と感じました。一度、入ると中々出る

          10#【進路活動】

          9#【支援学校時代】

           Sは中学、高校と同じ特別支援学校に通っていました。放課後等デイサービスに通いながら、週に2回は日中一時支援の預かり所に通っていました。  ※日中一時支援とは障害児(者)が親の就労やその他の事情により見守りを目的とした、預かりしてくれる場。管轄が市町村の為、市町村によってかなりの差がある。  制度的には良いが、事業所自体が少なく、単体での運営はあまり見られない。他の事業と併用して開業されることが多い。  一方、放課後等デイサービス(放デイ)は申請後、利用可能となり、18歳

          9#【支援学校時代】