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第1話 今、ここ

 ある年の4月、あきらの中学校の入学式で私はその人に会った。
式典に先行して挨拶をしにきてくれた彼は、あきらのクラスの担任であり、
同時に、のちに私の魂の片割れ、ツインレイであることが判明するスサナル先生。
(語感はよくないが、スサノオのエネルギーを感じたのでここではこの名前にする)
なぜか会って一瞬で心の奥の方をぼんやりと掴まれてしまった、そんな感覚があった。

 実は当時の私にはすでに、ツインレイに関する知識があった。出会いの予告もあった。
それにもかかわらず、結局サイレントと呼ばれる分離期間に入るまでその人をツインレイだと断定できなかったのは、知識の偏りと視野の狭さによる決めつけと、自分に対する自信のなさ。環境や関係が変わることへの不安、あるいは学びのための天の采配だったのかもしれない。


 これは後から知ったことだが、世の中にはツインレイに出会う前、大きな試練を体験する人も一定数いるという。
私もそのうちの一人で、この出会いの数年前にはあきらが救急搬送され死の淵をさまようという、子を持つ親としてはなによりきつい経験をしている。
 その全てを書くことはできないが、長期入院期間中の半年間は抗生剤を打ち続け、多い時には2週間ごとに手術を繰り返していた。
その間一度も寝返りが許されず熱は常に38〜40度あり、最終的には身体に後遺症が残った。

 毎朝目が覚めてしまう絶望。今日も起きてしまった。体は重いけど面会の支度をしなければ。
生きている感覚が薄く、いっそこの子と心中してしまいたいという思いが常に心のどこかにある非現実感。底の底。
再び浮上できたのは、“わたし、スピリチュアルのこと忘れてる“。そのことを緩やかに思い出すことができたから。
20人体制の医師たちのカンファレンスでの、やれることはやったが打つ手なし、延命のためだけの処置のみ継続、あとは奇跡を待つ以外ないとの回答を砂糖をまぶした言い方で聞き、エゴセルフが強制シャットダウンされ思考停止に陥ってから。

 「今、ここ」

 現実を受け入れられずに抗ってきたエゴが絶叫したそのとき、明け渡された空間にちょっとずつちょっとずつ
「ああ、そうだった。私は今まであんなにスピを追いかけてきたのに、意識を今ここに合わせることをすっかり忘れてしまっていたよ。」と、“現実”にどっぷり呑まれていた体に芯が戻ってきた。
 食事の時にはテレビを消して、口の中に広がる味を味わう。
病院に向かうときは、運転することに集中する。
面会時間には、目の前にいるあきらに意識を合わせる。
淡々と、淡々と。

 そしてそれに応えるように、子供の容体が回復し、臨めずにいた大きな手術に耐えうる体力もついてきた。
体の機能の一部を失うことと引き換えに、あきらはようやく我が家に帰ってきた。


written by ひみ


⭐︎⭐︎⭐︎
実話を元にした小説になっています。
ツインレイと出会う前、出会いからサイレント期間、そして統合のその先へ。
ハイパーサイキックと化したひみの私小説(笑)、ぜひお楽しみください。


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