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言語化の罠

くだらないことをだらだら考えてしまうし、くよくよと昔の出来事を反芻したりする。

シャワーを浴びている時、朝起きてごろごろしている時、信号待ち。

一人の時は表情も気持ちに素直にいようと思っているから、きっと百面相にでもなっているはずだ。

けれども、実は考えている時、特に意識して言葉に変換はしていない気がする。

そんな時間が嫌いではない。


で、問題は考えたことを言語化した時。
例えばnoteにひとつ、記事を書いてみる。
書いていくうちに、ああ、こんなこと言いたかったんだ、と腑に落ちて安心する。

でも、ちょっと待てよ。
私が思っていたのって、ほんとにこんな事だったの?なんか、もっと掴めないもやもやとして渦巻いていた思考は、この数百字に収まることだったっけ?

なんか、掴み損ねた何か(イメージはSUUM◯)がするりと逃げていくような感覚がする。


言語化すると、脳はきっと安心してしまう。

そしてこう思っていたんだ、と自分を納得させてしまう。
もっともっと、取り出すべきことはあったのかもしれない。言語化せずに考え続けていたら、もっと思いもよらないものが飛び出してくれていたのかもしれない。

でも、思考を外に出したい、発信したい、その欲求も抑えられない。

そんなこんなで、毎日迷いながら、結局こんなんだっけ?という言葉にしてしまうのです。

この文章もしかり。

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