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我が家には天体望遠鏡がある。

数ある星座の中でも双子座はすぐ見つけられる。
なぜなら双子座は自分の星座で、かつオリオン座に近いから。

12月のキンキンに冷える冬の時期に、定期的に双子座流星群の話を耳にする。

仕事終わりにオリオン座と双子座が目に入って、思わずじっと目を凝らして流星群を探してしまった。

そんなときふと、昔家族で双子座流星群を見るために車で夜中に出かけたことを思い出した。

当時は雪道もガンガンに走れる四駆の車を持っていて、その車で星が綺麗に見えそうなところを家族で探しに行った。

結局、どこかのパンフレットで見るような大量の星が降ってくる流星群は見れたことはなく、早々に撤収してしまったけれど、今となってはそれもいい思い出だ。

私が小学4年生くらいの頃、何度か家の庭で家族で星空鑑賞会をしたこともあった。

いつからか忘れてしまったけれど、我が家には天体望遠鏡があり、その望遠鏡で月のクレーターも見たことがあった。

教科書ではよく見るクレーターも、望遠鏡で見ると全然ちがうものを見ているような感動があった。
何億光年も先にある月を今、この瞬間見ていると思うと、言葉に表せられない感動がじわっと胸いっぱいに広がったのを覚えている。

その望遠鏡は、おそらくどこかのタイミングで天体ブームになった父が買ったのだと思うが、今ではそれは我が家の玄関のちょっとしたオブジェになっている。そして友達や知り合いが訪ねてくるたびにその望遠鏡にまず驚く。

とはいえ使ったのは私の記憶が正しければ数回しかない。

そもそもまず月などの天体に焦点を当てるまでにえらく時間がかかる。
そりゃ数キロ先に標準を合わせているわけではないので、当たり前だが、数十分探し続けてやっと焦点が合ったと思った瞬間に、今度は数分おきに追いかけないといけない。(自動で追いかけてくれるものもあるみたいだが、さすがにそんな高価な望遠鏡は持っていない)

家族順番に月をじっくり見て、2〜3分経つとまた探しながら焦点を合わせて。
焦点があったら、またまじまじと望遠鏡を覗き込み、また数分経つと月を探す。

その繰り返し。

そして当たり前だが、月以外の天体を見るほど高性能ではないので、見れるのは月だけ。
これで土星とか見れたらテンション上がるけど・・残念ながら月だけ。

極めつけは観賞会は主に冬だったこと。冬の空の方がより空気が澄んでいて星は見えやすいのだが、故にさむい。とにかく寒い。
毛布にくるまりながら、ただ月を見て綺麗だと言っているだけでは寒さには勝てない。

そんなこんなで結局我が家の望遠鏡は数回しか活躍した記憶がない。

それでも、今こうして東京の空に双子座流星群を探してみていると、あの時のことが鮮明に蘇ってくる。

「ああ、きっと父は、望遠鏡じゃなくて『家族で一緒に星空を見る時間』が欲しかったのかな」

ふとそんなことを思う。

確かに望遠鏡はカッコいい。天体はロマンに溢れているし、月のクレーターはすごくはっきり見えてまるで作り物みたいに思えたし、あそこにもしかしたら人類とは違う生物がいるのかもしれないとか、考えるだけでドキドキワクワクした。

でも私は、星空よりも、望遠鏡よりも、月よりも、あの家族で寒い中毛布に包まりながら星を見ている時間がすきだった。

日常の中の非日常。
生活の中の世界。

「お金は使うためにあるものだ」と父はよく言っている。

もちろんそれは浪費家になれ、ということではなくて、「貯める時に貯めて、使いどころを見極めて使う」ということ。

父にとって望遠鏡はまさに「使うときに使う」もので、そのおかげで私の記憶には家族で見たあの星空と月が鮮明に残っている。

あれから国内外もっと綺麗な星空を見たこともあったけれど、
私の中で今まであんなに幸せに感じた星空は振り返ってもなかった。

そんな思い出をくれた父に感謝しながら、またじっくりと、明るい東京の空を見上げている。

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