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「好きに生きる」を因数分解したら「自分の小さな心の声を聞く」に辿り着いた。

よく「自分の好きに生きたらいい」と言うけれど、それって簡単なようで難しいよなあと思う。

「よし!明日から好きに生きるぞ!!」って思っても、人間そんな簡単に今まで生きてきた年数の習慣をひっくり返せないし、なにより「好きに生きる」って自分勝手にならないのかな?

やりたいことだけやって、行きたいところに行って、会いたい人にだけ会ってたら、それって社会人としてどうなの?ってちょっと思ってしまう。

「好きに生きる」とは? 

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「自由に生きる」?
「自分のやりたいことで生きる」?
「誰にも縛られずに生きる」?
「自分軸で生きる」?

たぶんこれは人によってイメージがちがうと思うけど、私は「自分の好きに生きる」を細かく因数分解したら「自分の心の小さな声を聞く」に辿り着いた。

未来の自分のために、私は逃げた

中学生の頃、私は“一瞬だけ“陸上部に所属していた。“一瞬だけ“というのは、中学校1年の春から夏終わりまでなので、ほんと一瞬だけ。

やめた理由は単純で、「走ることが嫌いになりそうだったから」

当時の私は小さい頃から走ることが好きで、特に長距離が好きだった。
小学校でよくあるシャトルラン(体育館の端から端までを1〜10のカウントが終わるまでに時間内に何回往復できるかで持久力を測る競技。今もやってるのかな……?)も必ず最後まで残っていた。もう一緒に走ってる子がだれもいない中、1人みんなの唖然とした視線を浴びていた。そして自慢じゃないがマラソン大会は6年間ずっと1位だった。

そんな私は中学に上がる前から「私は陸上部に入って長距離をやるんだ!」と周りに公言していた。自分の中でそれは揺るがない想いだった。入学前からベネッセの中学入学準備号みたいなのについてくるプチ漫画を読んでは「私も勉強と部活を両立するんだ!」と意気込んでいた。

しかし、いざ入部すると私はあんなに憧れだった陸上部をわずか半年で辞めた。

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実は、入部直後の私を待っていたのは「校庭外周を〇周走り終えるまで水は飲んではいけない!」という謎ルールだった。

今でこそパワハラとかで訴えられそうな案件だが、当時はまだ「根性と気合で乗り切る!」精神が残っていて、指導をする先生もがっつりその世代だった。

しかし「根性と気合」という文化から最も遠く、マイペースに育った私にはそのことがどうしても受け入れられなかった。
だって水を飲むのを我慢したところで足が早くなるわけじゃないし、そもそも走ることってそういった自分を苦しめる形では続かないと思ったから。

そしてそんなモヤモヤを抱えながら暑い夏の日も練習を重ねた結果、最終的にはあんなに好きだった走ることそのものが嫌いになりそうになった。毎日苦しくて苦しくて、当時毎日書いて提出していたランニングノートを開くのすら嫌になった。

そして少し悩んだものの、私は夏終わりにはあっさり辞めた。

人によっては「そんな理由で……」と思うかもしれないし、多分今なら「でもずっと憧れていた部活だし……」とか「中学入る前から入部するって公言していたし……」とか考えてしまっていたと思う。
(もちろん大会にも少し出ていてそれなりに道具は揃えてもらっていたため、それなりにお金もかかっていて、両親には申し訳なかったと思っている……陸上のちゃんとしたスパイクやウィンドブレーカーは決して安くはない。)

でも、当時の私は純粋に「走ること自体を嫌いになりたくない」という心の小さな声を聞いてその声に従ったのだと今なら気づく。今振り返ってみても、当時の自分は「自分の心の中の小さな声」に気づくことに長けていたなあと我ながら思う。

もちろんあのまま続けて頑張っていたら大会にももっと出ていただろうし、今よりもっと良い成績を出していたかもしれない。辛くても楽しい思い出も増えたかもしれないし、可愛い後輩とも仲良くなれたかも。

でも、
それでも。

当時の私は、このまま続けていて未来の自分が走ることが嫌になるかもしれないということの方が怖かったのだ。
自分の数少ない当初の長所を、自分で壊してしまうことの方が何倍も怖かった。だからそうなる前に辞めた。自分の良さを守るために、逃げたのだ。

そして十数年経った今。私はまた継続的に走っていて相変わらず走るのが好きだ。
あのうだるような暑い夏の日、顧問に引き止められながらも1人辞める選択をした自分は、決して間違っていなかったと思う。

好きなことと同じくらい、やりたくないことも聞いてあげたい

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あの頃に比べると、今の自分は「自分の小さな心の声」が昔より聞こえなくなってしまった。

たぶんそれは社会的な周りの視線とか、「石の上にも三年」みたいな続けることが美徳とされてきている固定観念とか、そういう小さいけど結構細かい周りの雑音が降り積もって、ほんとは心は発してるのに聞こえなくなってしまったのかもしれない。

だからこそ「好きなこと」を問い続けるだけじゃなくて、「やりたくないこと」も自分に問い続けたい。

中学の頃の私は走ることが一番好きだった。
けど同時に、真夏でも水を飲んではいけないという「やりたくないこと」もあって、私は「好きなこと」を続けることよりも「やりたくないこと」をやらないでいい選択肢を取ったのだと思う。

もちろん好きなことを続けていく上で多少の苦労や大変さはあるけれど、そこで自分の小さな声を聞いて、少しでも自分が「これは絶対にやりたくない」というのであれば、そのときは無理せず離れるのも選択のひとつだと私は思う。

自分の好きなことがそこでしかできないなんてことはないから。
それなら好きなことは好きなまま、居場所だけ変えることはいくらだってできる。

逃げるは恥だが、役に立ったよ

最近はネットやテレビ、SNSなどで他人の意見や固定観念が溢れている時代だ。

だからどうしても周りの反応や意見が気になったりして、つい耳を傾けてしまいがちだけど、本当の答えは自分の心にあると思う。

その心の声は、小さいかもしれないけど、あなたと共に生きている。

そんな大切なことを、私は10年以上前の自分から教えてもらったな、今改めて思う。

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