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障害を抱え…る? 「障害は荷物なのか」案件

なぜ、このnoteでともっちさんや脳性麻痺のことを綴っているかは、下記のnoteをお読みいだたけたら嬉しいです。
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以前に「障害は持つもの? あるもの?」というnoteを書いた。

昨日のnoteで「重度の障害のある」を「重度の障害を抱える」と書いていたら、やはりすかさず、

「重度の障害を抱える…抱える? 間違いではないけど
障害って荷物?
時には、今もそう思うことあるけど」

と、ともっちさんからの指摘が入る。

自分でも「抱える」という言葉を選択したときに、チラッと違和感はかすめたのだ。かすめたにも関わらず、そのまま「抱える」という表現を使ってしまった。

そこで、近くに転がっていた新明解国語辞典を引いてみると、

―(責任を持って処理しなければならないものとして)身辺に持つ。
― 個人として処理しかねるものを身辺に持つ。

「障害を持つ」もそうだけれども「障害を抱える」もまた、意識せずとも、「障害者とは、なんだか大変そうな荷物=障害を持って/抱えている存在である」という私の無意識の思い込みがあるからこそ、これらの言葉をチラッと違和感かすめながらも使ってしまっていたのでは、と、思い至る。

こうやって、彼女との何気ない会話の中から学ぶことは数知れず。

ともっちさんという人に魅力を感じてしまうことの一つに、違和感を飲み込まず、相手に伝える彼女の躊躇のなさがある。

ネタがまたひとつできたなと思った矢先に、「コレは次のネタにしよう!」と指令が飛ぶ(笑)

彼女とのコラボレーションはとても不思議で、彼女のためにやっているという感覚がほとんどない。
いま必要な気がすることを、面白がりながらやっている、だけ。

誰かに届こうが届かなかろうが、本を出版すること自体は自費出版という手もあるし、最終的には多分どうとでもなる。

彼女がひょいと手渡してくれたものが、役割なのか希望なのかわからないけれど、なんかほんっとこれでもかってくらい面白い人たちに出会える人生には違いないよなぁ!という実感だけはリアル。

追記:このところ鶯たちがケキョッケキョッ、ルーリルリルとさかんに鳴く練習。
「ホーホケキョ」に限りなく近く鳴いた声が聴こえて、「あと一歩だね」というと、「いや、この子は単にセンスがないね」って…。母よ…。
鶯もセンスと練習量らしい。
お互いがんばろうね、と、その鶯にも念を送っておく。

さぁて、今日もよい一日を。


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