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明文化、言語化

どうも「古き良き日本企業」では、ルールを守ることは得意だが、ルールを明確に定めることが苦手なマネジャーが多いように感じる。
「なぜ基準を定めないのですか?」と聞くと、
「色々なケースがあり、一概にルールで記述できない」とか「ルールが多すぎると、窮屈だ」とか「判断するためにマネジャーがいる」とか、とにかくいろいろな反応がある。

だが、ルールを定めることと、特殊ケースが存在することは両立するし、ルールがあるから窮屈だ、というのも単なるイメージに過ぎない。
判断するためにマネジャーがいる、というが、常にマネジャーが待機しているわけではないし、すべての判断をマネジャーに委ねていたら、それこそマネジャーは仕事にならず、現場の作業が滞ってしまうこともよくある。
ある現場では、マネジャーに連絡がつくまで、会社に残ってないといけない、なんてケースもあった。そんなのは、不条理の極みとも言える。

要するに、そういった「判断基準の明確化」を保留するマネジャーは、マネジャー失格で、仕事をしていないのだ。
「ルールを定める」という重要な仕事を放棄している、とも言える。

きつい言葉だが、基準を明確に示さないマネジャーは、存在している意味がない。

基準を明確に示さないマネジャーは、存在している意味がない。

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