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行き過ぎた優しさは究極の暴力か?

「町田くんの世界」をAmazonプライムにて鑑賞。安藤ゆきの同名コミックを細田佳央太、関水渚のダブル主演で映画化。高畑充希、前田敦子、岩田剛典といった人気俳優が脇を固める。

町田一(まちだはじめ)は勉強も運動もまったくできないが、ただひとつだけ、誰にも負けない才能があった。

町田くんの唯一の才能……それは、優しさ。少しでも困っている人を見ると手を差しのべずにはいられない町田くんは学校でも有名な聖人君子。人畜無害ではあるものの、町田くんの底知れぬ優しさは時としてからかいの対象になっていた。

そんな「いい人だけど、ちょっとイタい」町田くんは自分がからかわれていることにも気づかず、マイペースに自分の道を貫いていたが、ある日、ふとしたきっかけでクラスメイトの猪原奈々と会話をし、距離が少しずつ縮まっていく。

優しさなのか、友情なのか、あるいは恋なのか……得体の知れないふわふわとした感情が心に芽生えた時から町田くんの世界は少しずつ、けれど確実に変わりはじめる。

原作未読。コミックの実写化はだいたいにおいて残念な結果になると相場が決まっているのだが、この作品も例外ではなかった。

多少の遠慮をまじえて言うと……すべてが薄っぺらいのである。ヒロインとの純愛も、登場人物の葛藤も、町田くんの優しさも、とにかくすべてが綺麗事なのだ。

「過ぎた謙虚は卑屈である」

落語を愛し、愛し抜かれた天才・立川談志が遺した言葉である。天才の言葉を借りるとすれば、こうも言えるのではないか。

「過ぎた優しさは、暴力である」と。

相手の状況や都合に関係なく、(今、自分にできること)を押しつける町田くんの優しさは痛々しく、そして、あまりにも脆い。それはもはや優しさなどではないが、自己満足という言葉で片づけられるほど生易しくもない。困っている人が目の前にいれば、何も言わずに助ける。一見すると純粋な優しさに思えるかもしれないが、そこにコミュニケーションは成立していない。町田くんは「ありがとうなんていらない」と言うが、それは、「ありがた迷惑」という拒絶に対しても耳をふさぎ、心を閉ざしているのと同じである。

町田くんはあるいは、誰とも心を通わせたくないのではないか。「僕の心には誰も入ってこないで」と、そのぎこちない笑顔の裏で悲鳴をあげているのではあるまいか。

その証拠に、奈々への恋心に気づいた時から、町田くんは町田くんではなくなっていく。町田くんの代名詞であったはずの「無条件の優しさ」は大きく揺らぎ、自分の感情を見失っていくのだ。

町田くん以外の「優しくない」人間の感覚で考えれば、その変化はむしろ自然なのだが、町田くんにはそれが許せない。理解できない。「私だけに優しさを見せて」という奈々の当たり前の、そして切実な想いに寄り添うことができない。

それでいて、町田くんは少しも傷つくことがない。奈々への恋心に気づいたあとでさえも町田くんは自分自身の優しさに疑問を持つことなく、世界の変化にどんどん取り残されていく。主人公自身が追い込まれていないから、クライマックスに近づいてもストーリーが深まることがない。

そして、終盤。ラスト20分のファンタジーは原作ファンから非難の嵐に遭ったようだが、膨れあがった町田くんの優しさ(自我)の暴走のメタファーとしてとらえれば納得できる。

奈々は結局町田くんを受け入れ、町田くんの優しさという「究極のバリア」は壊されることなく映画は終わる。

これで、良かったのだろうか。町田くんは本当に救われたのだろうか。

きまぐれ採点は70点。前半部分のコミカルさとテンポで何とか映画になっている、という印象。

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