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《短編小説》不香の花

 色らしい色のない病棟の中庭に、鋏の音が響く。
 ぱつん、ぱつん、と断ち切られ、石畳に落ちる枝。「忌み枝」を剪定するのだと、祖父が生前言っていたのを思い出す。
 ただ純粋に生きているだけでも、忌むべきものと判断されれば終わりは一瞬で訪れる。選ばれし枝葉の未来のために。誰もが美しいと認める風景のために。

「よう、死に損ない」
「……生き残りと言ってくれないか」

 振り返ると、やはり彩りに欠ける男が見下ろしていた。至近距離の気配にすら気付かないとは、車椅子生活で勘が鈍ったかもしれない。当時の上官が知ればただでは済まないだろう。

「ご挨拶だねえ。どれ、押してやろうか」
「結構。自分で動かせる」

 俄かに、正面玄関の辺りが賑やかになる。目をやると、生後まもない赤子を抱いた女が出てくるのが見えた。見送りの医師と数人のナースに、何度も頭を下げている。

「感動的な光景じゃねえか。あの戦火を生き延びて、尊い命を守ったってわけだ」
「撮らなくていいのか? いい記事が書けるかもしれないぞ」
「5年ぶりの休暇に仕事の話なんかやめてくれよ」

 後輪を軽く蹴ってきたので、一気にバックして体当たりする。カメラとゴシップをこよなく愛する天性の新聞記者とはいえ、長年プロパガンダの片棒を担がされれば嫌気も差すのだろう。

「痛えって! そんな芸当もできるのかよ。文明の利器さまさまだな」
「車椅子の歴史は遡れば数世紀前、いや古代の--」
「うるせえうるせえ。今日はお前の蘊蓄を聞きに来たんじゃねえんだ。ほらよ」
「見舞い品か? 珍しい」
「おう。サプライズ、ってやつだ」

 目の前に茶封筒が下りてくる。両面とも無地でごく薄く、中身の手がかりはまるでない。開封の是非を問うべく振り返って見上げると、開けてみろと言わんばかりの得意顔だ。

 封を開ける。
 半分に折られた、薄いグレーの厚紙が1枚。
 厚紙を開く。
 左側には艶やかな赤紫に、深い緑。
 --シクラメンの押し花だ。
 右側に貼りつけられた写真には、はにかんだように微笑む少女が写っている。

「どうだ? いい写真だろ」
「……見つけてきて、くれたのか」
「いやー大変だったぜえ。終戦したとはいえ元敵国だからな。敏腕記者が時間外労働してきてやったんだから、ありがたく受け取りな」

 国境の向こうで、君は生きて、笑っているのか。
 クロエ。

* * *

 --涙に濡れた琥珀色の瞳を、戦火より鮮明に覚えている。

 日が傾きかけた頃に出会い、夜には別れた。ごく短時間の邂逅だった。
 年の頃は十代半ばだろうか。クロエという名前のほかに知り得たのは、公国西部の農村で花売りをしていたこと。故郷はやがて戦場となり、親兄弟と生き別れ、丹念に手入れしていた花畑は踏み荒らされてしまったこと。せめてもと、難を逃れたシクラメンの一株を鉢に植え替えたこと。鉢植えを抱えて山に逃げ込み、そのうち国境を越えてこちら側--連邦に入ってしまったこと。

 そうとは知らず不眠不休で山を越えたクロエは、谷間の川辺で休んでいた。その川は連邦軍の水源であり、たまたま近くで宿営していた自分が彼女を見つけたのだ。

 来た道を戻らせて公国に帰れればいいが、戦場にすらならない冬の荒れ山である。年端もいかない少女が越えられたのは奇跡で、引き返せるとは思えない。あちらの国境警備隊に事情を話したところで、スパイ疑惑をかけられるのが関の山だろう。夜闇に紛れて帰すしかなかった。

 日没まで地下壕に身を潜めさせ、こちらの兵士達の隙をついて国境付近に辿り着く。多少言葉の隔たりはあったものの、クロエは指示をよく理解してくれた。

 公国軍国境警備隊の巡回ルートや人員数は、諜報部の働きによってある程度把握していた。安全なタイミングを見計らい、クロエの背を押す。あとは指示通りに進んでくれれば--。

 少女が一瞬こちらを振り返り、駆け出した直後。
 予想外の方角から敵国の兵卒が現れた。
 火のついていないタバコを咥えているところを見るに、人気のない場所でサボっていたのだろう。
 荒げた声をきっかけに、増援のライトがクロエを照らす。

 銃口を向けられたクロエが、シクラメンの鉢を抱きしめる。
 ライトの光に照らされ、花弁の赤紫が際立つ。
 彼女の前に飛び出した瞬間、視線が交錯した。
 涙に濡れた琥珀色の瞳、熱、衝撃--。

* * *

「今更だけどよ、何であの子を庇ったんだ?」
「……公国だろうと連邦だろうと、一般市民が自国の軍に傷つけられることなどあってはならない。それだけだ」
「軍人さんはお堅いねえ。しっかし公国のお嬢さんを庇って大けがするなんてなあ……これも名誉の負傷ってやつか?」

 車椅子を押され、景色が動いていく。
 調子の外れた鼻歌に、聞き覚えがあった。
 作戦中に傍受した公国のラジオから、時々流れていた歌だ。

「敵国の流行歌までご存知とは、さすが敏腕記者様だな」
「今は敵国じゃなくてお隣さんだぜ、少尉様」

 兵卒に撃たれた数日後、意識が戻ったのは公国内の捕虜収容所だった。命があるのが不思議だったが、すぐに状況を理解した。あの翌日公国軍は降伏し、捕虜達は解放を待つばかりになっていたのだ。収容所はすでに連邦軍の管轄下にあり、公国軍の人間はいなかった。当然クロエの行方を知る者も。

 手元の写真に目を落とす。
 クロエがどうやってあの窮地を逃れたかはわからない。こいつはお得意の聞き込みをしてきたのだろうが、無事でいるのなら、いつか直接--。

「そういやクロエちゃんな、会ってお礼を言いたいってよ。今はあっちもこっちもバタバタしてるが、春ぐらいには落ち着いて来やすくなるかもしれねえな」

 降り出した雪に濡れないよう、カードをそっと手で覆う。
 色とりどりの花畑を思い浮かべ、やがて訪れる春を待ち遠しく感じた。

【文明の利器】【シクラメン】【生き残り】
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夫も書いております。

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