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補助輪を外して、自転車を漕ぎだした日。〜リワーク卒業と復職〜

昨年の春からリワークに通い始めて、1年と少し。
経過などずっと書けていませんでしたが、先日晴れて卒業・復職したので区切りとして、また表現が端的になりがちだった私がこんなに長い文章を書けるようになったんだよ〜!という成長の証としての更新です。受け手のことは一切考えていない、自分のための文なので当社比で本当に長いです。ご容赦。

もちろん内側の詳しいエピソードは避けますが、卒業や折に触れて話してきたことと重なる……というか、話したことも含めて改めてちゃんとまとめたいので、関係者が読んだら「アイツだ!」って分かっちゃうかもしれません。まぁ、私のことがバレるぶんには別にいいや。
それにもし思い出してもらえるなら嬉しいし、多少は見つけてほしくて書いている節もある……やっぱり寂しいものは寂しいので……。

もともと私がリワークに通い始めたきっかけは、会社の復職規定に一定期間・一定以上の出席率で通所することが必須条件としてあったからでした。
うつによる意欲低下も影響していたのだと思いますが、当時は特にその存在意義に対して特に興味を持つことはなく「ここに通わないと復職できないのなら行くしかないよね」程度の認識でいたと記憶しています(それでもせっかく通うのならと見学に数か所回る程度には頑張って探しましたが)。
↓そのときの記事

慣れない環境。
この時点で1年半休職しており、他人との距離感や会話の仕方がわからない。
なんかもうシンプルに人間が怖い。
しばらくは警戒心が解けきらない様子が見てとれたと後から聞きました。

勉強自体は嫌いではないので、心理学的な内容やコミュニケーションスキルに関する知識が得られる講義は楽しく受けられていたのですが、壊滅的に苦手だったのが自己開示です。

元来の自信のなさや過去の失敗から自己開示そのものに抵抗があったことに加え、その前提たる「自己」についての理解が圧倒的に不足しており、何を開示していいのかわからない状態でした。
自分ってどんな人間だっただろうか。いま、何を考えているんだろうか。意見や気持ちがうまく掴めない。
ぐるぐると頭の中で必死に当てはまるワードを探しているうちにだんだん疲れて思考を放棄しはじめ、相手に流れを委ねるばかり。
「とりあえず喋りながら考える」「いったん保留にする」などの手段を持てるようになるまでは、面談で「べにこさんはどう思う?どうしたい?」と聞かれても黙り込んでしまって答えることができず担当のスタッフさんを困らせていました。

その後も良くない方向に働きやすい自身の癖や傾向、課題に毎日のように直面し、その度に己の未熟さや至らなさが悔しくて泣きました。「自分が嫌い」とただ一言日記に書き殴った日もありました。

それでも逃げず、タフだねと言われながらも休まずに通い続けられたのは、自分を諦めたくなかったからです。

ある日聞かされた、他人に操縦されて進むラクダと自分の意思で動くライオンの話。
これまでの私の人生の大半は「自分で決めた」ようでいて、その実「両親から提示された選択肢や条件のなかから選んできた」ラクダのものだったことに気付かされました。

元々同世代の友人よりも考えの浅さや自分のなさを感じることが多く、このまま空っぽなまま歳をとっていくことに希望を見出せずにいたけれど、もしかしたらもっと「自分」として生きていけるかもしれないと思えたのです。
正直なところ仕事に対しての熱意や復職意思が弱く、遠回りで人生に対してのアプローチから入ってもらったところもあるのですが、相当辛抱強くサポートしていただいたと思います。

いつ頃からか、感情の動きが言葉になるよりも早く涙として出るようになりました。別に涙もろいタイプではなかったのですが、年齢のせいもあるのでしょうか……この文章を書いていてもちょっと泣いているくらいです。
一時「涙活」という言葉が流行したように、ストレスを逃がす方法として身体が自然と会得した方法なのかもしれません。
ただスタッフの全員から「泣けることはいいことだよ」とは言われましたが、毎回目が腫れ鼻水がダラダラになるまで泣いてしまうのでコントロールできないのはちょっとやめてほしいよな!と思っています。

1年という期間は、リワークとしては長期の部類に入ります。途中で体調を崩して中断し、結果的に長くなる方は多いですが、私はほぼ休むことなく通っていました。「たくさんの課題に対応していたらこれだけの時間が経っていた」と、体感としてはかなりあっという間でした。

再休職を恐れ「自分がどうなれば卒業(復職)していいと思えるのか?」がわからないまま周囲がどんどん卒業していくことには焦りを覚えることもありましたが、古参として開き直って新しい方に色々教えられるようになるとそういった感覚も消えていきました(教職は諦めた身ですが、「何かを教える」というのはやっぱり嫌いじゃないかもしれない)。
休職期限に余裕があったこともありますが、この年齢になってじっくり自分に向き合う時間・機会はとても得難かったと感じています。

冒頭にも書いた通り、私は自分に自信がなく、自己評価の低い人間です。
完璧主義が強く理想も高いので、達成感を感じることも多くありません。
けれど、これまでの私だったらできなかったこと、苦手だったことが少しずつできている。
ここ良かったよ、と言われたことを素直に受け入れられる……かはさておき、変に謙遜せず受け止めることはできる。
何より「やりきったな」という気持ちがある。
ベストな方法ではなかったかもしれないけれど、そのときの自分にできる精一杯のことをしてきたと思えます。

本当は大きな心残りとモヤモヤを抱えて卒業してしまったのだけれど……これはもう自分ではどうしようもない種類のものなので、落ち着くまで話を聞いてもらったりCBTでもしたりしながら時間をかけて癒せたらと思います。
これも一生忘れられない思い出になるのかな。いい意味でそうなってくれることを望みます。

リワークはあたたかい場でした。
下の名前さえ知らず、年齢層も様々ななか、自分を飾らず接することのできる関係がとても心地よかったです。
かけてもらった言葉も会話の内容もたくさん覚えていますし、「大事にしてもらったな」と思うことしきりです。
それでも、知り合った方と外での交流はできないことになっています。
別の出会い方ができていたら、お友達になれたらどんなに良かっただろう、そんな方ばかりでした。
またどこかで元気に会えたらいいな。

そんな卒業を経て復職し、数日が経ちました。
元いた大きめの部署ですが、さすがに2年半も休むとメンバーも総入れ替え状態です。
新しい上司はフランクな方で、復職者を迎えるのは初めてだそうですが勤務体制や業務についてはこちらの希望に対して柔軟に対応してくれ、些細な不調もすぐに報告するよう厳命(?)されています。
当分は頑張りすぎず、まめに進捗や体調の報告をしながら安定して勤務できるようになることが目標です。

リワークという補助輪が外れた自転車みたいだなぁと思っていたら、ちょうど上司から自転車の喩え話をされました。
「自転車は漕ぐ時に足元だけ見ていたらフラフラになってしまう。先を見据えて進めていく練習もしていこうね」

この一年の学びとして、「自分を諦めない」ということを芯に据えることにしました。
自分を知ること。
自分らしくあろうとすること。
自分を表現したり、伝えようとすること。
自分を心身とも大切にすること。
私が私として生きていくために「自分はこんな人間なんだぞ」ということをちゃんとわかりたいし、わかってもらう努力をしたい。
自転車を漕ぎ続けるためにもきっと必要なことだと信じています。

最後に、生活そのものや心身の不調に支えになってくれ、時には「復職なんて最悪しなくてもいいけど自分がそうしたいのなら頑張りな」と発破をかけてくれた夫にとても感謝。

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