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今日の私は、変化は波のように

11,895日目

約1年前に書きかけて下書きにあったままだった変化について読み返す。

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変化のタイプは2種類:内的な変化、外的な変化 がある。

内的な変化とは、自分のあり方、気持ち、意識が変わること。
外的な変化とは、周りの人間、環境、コトや状況が変わること。

外的な変化、つまり転職や引っ越し、季節といった大きな変化があると、それに合わせて内的な変化が起こりやすいのは想像しやすい。

でも逆もある。今まで心地良かったもの(仕事でもプライベートでもモノでも)がなんとなく違和感を持つようになって、環境/行動/モノを変える、といったみたいに。

内的な変化と外的な変化は必ずしも同時に起きるものではなくて、相互作用で起きていくもの。

仮説としては、自分の内的・外的変化に意識的であることが、ストレスや我慢がすくなく心地よく過ごすことに繋がるのではないかということ。

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noteを日記のように書き始めてから3年以上。

外的な変化はたくさんあったが、同じ「書く」という行為においても湧き上がってくるときと、筆が重たいときを繰り返す。

今はどちらかというと、後者。内側で何かが起こっている渦中なのかな、と想像する。感じていることはあるのに書くという行為にすぐに結びつかない…そんな時期。

それはきっと、内的な変化がたまたま書くという行動において違和感として表れているだけで、他のいろいろな部分に結びついてるんだろうな、とも感じる。


変化は、きっと波のように引いたり、寄せてきたりして外的にも内的にも何の変化のない「凪」の時間はほとんどなさそう。

1年半前に訪れた父母が浜
波がない、"静""閑"の漢字が浮かぶ

誰かが数年前に言ってくれたこと。
「乱れるということを前提にしてどう整えるかを考えることが大事」
ずっと胸に残っている。

引いては寄せる波
遠くから見たら小さな波も渦中にいたら小さくはない

そうやって繰り返しながら、人はさらにその人らしくなっていくんだろうって今は思っている。

無理に今の状態を言葉で・論理的に説明しなくちゃとは思わない。あー何かが起きているって意識的に。そうしたら、過去に書いたように「ストレスや我慢がすくなく心地よく過ごすことに繋がる」気がしている。

ルクセンブルクは海がない
小川は街の中心に流れている

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