見出し画像

小さな話21 on-LINE

新型のウイルスによる侵食が進む中、私たちの日常は確実に変化をしていった。インターネットを馬鹿にしていた大人ほど置いていかれた。先輩は、すごく年が離れているわけではないのに、インターネットに追いつけなかった一人だ。

『今日からテレワークが始まるので、注意事項を送ります。』

会社の方針で、テレワークが始まって、阿鼻叫喚地獄に陥ったのかというくらい混乱していた。メールで送ればいいのに、先輩は即電話を掛けてきた。しかも、携帯の番号。SNSで掛けてくれれば、通話料かからないのに。

「ごめん。わからないので助けて欲しい。」
「何からわからないかによりますけど。」
「ぞーん?ズーン?みたいなアプリがインストールできません。」
「嘘だ。」
「自前パソコン三年振りに開いたし、会社のと違うからわからないんだよ。」
「先輩って何個歳違うんでしたっけ。」
「五個。」
「大して変わらないですよね?え、サバ読んでます?」
「早く教えてくれ…。ミーティング始まるから。」

zoomを読めないのはもうバグだ。頭のアップデートから行った方がいいかと思われる。そんなこんなで、必要な作業を電話越しで手伝いながら先輩はとりあえず初期装備を揃えたようだ。

「ありがとう。それでは、またミーティングで。」
「はい。お疲れ様です。」

ミーティングでも先輩はポンコツだった。画面共有はできないし、マイクはミュートにしたままだった。対面では優秀な人がとんでもないギャップを出してきたと、部署の後輩たちは呆れたり笑ったりしながら初日を終えた。

基本外に出ない私にとって、テレワークはありがたいものだった。ご飯もゆっくり食べられるし、曲聴きながら作業もできるし。対面の方が余計な労力を使うから、しばらくテレワークが続いて欲しいと心から願った。

週に一度の出社が逆に変な気分になった。前までは、満員電車に揺られて通っていた場所に比較的のんびりした気持ちで迎えた。マスクは、暑いし、息苦しいけど、化粧も少なくていいからちょっと慣れてきた。

「お疲れ様です。」

普段より人のいない職場で、仕事をこなす。休日出勤だっけ?と錯覚するほど人がいない。嬉しい。お昼休憩の後、席に戻ると向かいに先輩がいた。

「お疲れ様。」
「お疲れ様です。今日出社でしたか?」
「いや、テレワークが慣れなくて、結局週の半分は出社にしてもらった。」
「さすがです、先輩。」
「それ褒めてないだろ。」

少し呆れた目を眼鏡越しに寄越す先輩を尻目に打ち込みと、取引先への書類作成を再開する。打ち込み程度なら家でできるだろうと思うが、やっぱり今までのデータが会社のパソコンにしかないことや個人情報の観点から、出社して行った方がいいらしい。

カタカタという音やコーヒーメーカーの起動音、着信音がよく聞こえる。一人で仕事をしていたときは聞こえなかった音だ。カタカタと規則的な音が聞こえる。エンターキーを少し強めに打ち込んで、一定のタイミングでコーヒーカップがぶつかる音がする。

チラリと先輩を盗み見すると、ちょっと難しそうな顔をして手元を睨んでいた。機械音痴の先輩のことだから、もしかしたらパソコン操作でわからないことがあるのかもしれない。そう思ってから、会社のパソコンだし慣れてるだろうと気づいた。思わず出かけたため息を深呼吸に変えると先輩と目が合った。

「どうした?」
「出社すると周りの音がより聞こえるなって。」
「確かにそうかもしれないな。うるさいかったか?」
「いえ。どうしてです?」
「最近、彼女に言われたんだ。エンターキーの音が少し強いって。」
「彼女さんいたんですね。」
「コロナでテレワークとか生活が変わっただろ?元々、遠距離だったから、どうせなら同棲しようって。」
「結婚するんですか?」
「んー。まだわからないけどね。」
「結婚式は招待してくださいね。」
「わかった。てか、邪魔してごめんな。」
「大丈夫です。」

退勤時間まであと二十分。中途半端な時間。
打ち込みはほとんど終わったし、残りの仕事もほとんどない。なんだかコンタクトがずれてきたから少し直しに行こう。そしたら、ちょうどいい時間かもしれない。鞄からメガネケースを出して、席を立った。先輩は、また難しい顔していた。手元には携帯。緑のSNSのシンプルな壁紙が見えた。

仕事中ですよ、と言おうとしたがやめた。

トイレでコンタクトを外してメガネに変える。パソコンの見過ぎかもしれない。ドライアイってブルーライトのせいらしいよ、と同期の声が耳元で再生された。同期に会いたいな。先輩じゃなくて。

席に戻ると、先輩が帰り支度をしていた。

「帰りですか?」
「ああ。お疲れ様。」
「お疲れ様でした。」
「そういえば、こないだてか、最初のときに色々教えてくれてありがとうな。」
「いえいえ。今は大丈夫ですか?」
「なんとか。後輩にいつまでも頼ってるのも悪いしな。」
「次のミーティングで先輩の完璧な進行に期待しています。」
「プレッシャー掛けてくるなあ。まあ、頑張るよ。」
「応援してますよ、一応。」

マスクの下で小さく笑い声を上げた先輩を見送る。あのマスクの下をまた見れるのはいつなんだろう。この間買ってしまったリップは日の目を見ることはあるのだろうか。そういえば、私来年異動あるかもしれないんだったな。

とりあえず帰るか。

途中、スーパーによるとスーツを着たカップルが買い物をしていた。青のジャケットが目を引いた。仕事帰りに買い物とか羨ましいけど、私には縁のない話かも。目当ての惣菜を適当に放り込み、ついでに酒も買う。明日はテレワークだし、顔を映す仕事もないし、別に顔が浮腫んでいようが、何しようが気を使うこともない。

酔っ払いのいない夜の電車は、清潔だった。スマホのSNSを見ながら揺られていく。緑のアイコンを開き、一番上のアカウントのピン留めを外した。ピンクのアイコンのSNSでは、ベルのマークをタップした。これで、彼がオンライン状態かどうかはわからない。緑のアイコンには、もともとそういう機能はないけど、何も用事がないのに開くことはなくなるだろう。

対面の仕事はやっぱり疲れてしまう。テレワークだけでいい。彼と会えるのは、オンライン上でいい。余計なことを聞かなくていいから。ちょっとだけ、幸せの余韻が残っている気がしていたのに。

ずれたマスクを直し、目を閉じる。耳元では、七つのラッパが鳴り響いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?