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体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第18回*出会いは1枚のハガキから

 その年の夏、鹿屋の日高君、川原君と知り合ったことによって、ギター、キーボード、ベース、ドラムスが揃い、あと、足りないのはボーカルだけになった。だが、中学生でロックを歌える子など、そうそういるものではない。14~5歳では、大体において声が可愛すぎるのだ。
 音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の募集欄に、鹿児島市在住の中学3年生の投稿したハガキが掲載されていたのは、「入試前」を実感し始めた12月のことだった。
 その投稿記事には、ローリング・ストーンズかレッド・ツェッペリン・スタイルのバンドでボーカルをやりたいと書いてあり、自分たちと音楽嗜好もピッタリで、皆大いに関心を持った。
 
 ― 他のバンドに横取りされちゃ困る。
   早く自分たちの仲間にしなきゃ!

 末原君、鮫島君と3人で自転車に飛び乗った。

 雑誌に載っていた住所が頼りだったが、地図で調べて、そのすぐそばまで行くことが出来た。いよいよ、1軒1軒探し回ろうとしたときのことだった。
 ふと見上げると、2階の窓からこちらを見下ろしている同い年ぐらいの男の子がいる。

 「もしかして、あの子だったりして・・・」

 などと冗談半分で言いながら近づき、雑誌に掲載されていた訪ね先の住所と「南貞則」という名前を伝えると・・・

 「僕が南ですけど、ボーカルの話ですか?」

 僕らは驚いて顔を見合わせ、声を返した。
 
 「は~い。そうです!」

 「待ってましたぁ~。入り口は向こうで~す。そちらに回ってくださ~い」

 彼が指差した方に向かいながら、3人は狐につままれたような気分になっていた。

 「待ってたって・・・、何でオレたちが来るのがわかってたんだろう?」
 「うん、どう見ても、あれは待ち構えてたよね」
 「どういうことだ?」
 「もしかして、ミュージックライフに載ってから、ずっとああして誰かが来るのを待ってたのかな?」
 「まさかぁ、いくらなんでもそれはないだろう」

 木造のアパートの急な階段を上り、彼の部屋に通されると、真っ先にそれについて聞いてみると、南君は南くんで、なぜ僕らが訪ねてきたのか訳がわからない様子。ミュージックライフに自分のハガキが採用されたことさえ、知らずにいたのだ。

 では、なぜ僕らを待っていたのだ? なんでボーカルの件で来たのかお見通しだったのか?

 ますます訳がわからない。

 実は、南君は僕らを待っていたわけではなく、別件での尋ね人を待って、窓から「今か今か」と見下ろしていたのだ。その別件というのが、何とまあ、偶然にも別なバンドでボーカルを担当するという話。卒業した先輩が、バンドのバンドのボーカルを探しているということで、まさに僕らが訪ねて行ったその時間に来る約束になっていた。
 ところが、訪ねてきたのは、その先輩ではなく、どういうわけか、口をきいたことも無い3人の中学生たち。あまりのタイミングの良さに、てっきり先輩の代理できたと思い込んだ。
 3人組の中の一人末原君は、県医師会館で行われたパイオニア主催のレコード・コンサートで見かけて、その姿を覚えていた。抽選で当たり、ステージに上がったとき、お洒落な服を着ていて、学生服姿の南くんにはまぶしく見えた。
 それにしても、先輩の代理で来るにしても、どういった繋がりでそのときの男の子が訪ねてきたのか・・・?
 南君の頭も、僕らがそうであったように、混乱しまくっていた。

 このような、絶妙とも言える偶然のいたずらに彩られ、この出会いの場面は、互いにとって何とも不思議な瞬間として後々までしっかりと記憶されることになったのである。

 南君の部屋で、まず目についたのは、襖一面に貼られたミュージシャンの写真だった。雑誌から切り抜いたそれらの写真の中には、当時僕が憧れたキース・エマーソンの写真もあったのを覚えている。
 そんなロックに埋め尽くされたような部屋で、南君は、レコードに合わせて歌った録音を聴かせてくれた。
 周囲に音楽仲間もいなくて、ラジオ番組を聴いたりしながら、ロックを楽しんでいた。ローリング・ストーンズが好きで、よく1人で歌っていたが、
レッド・ツェッペリンの『胸いっぱいの愛を』に感動し、その高揚感の中でハガキを書き、そのまま投函したらしい。それが採用されて、その後どうなって、というような具体的なことまでは考えていなかった。
 鮫島君も、レッド・ツェッペリンを知ったときは、衝撃のあまり学校を休んでしまったというが、同じように感動している中学生がここにも1人いたのだ。

  **  **  **

 後日、南君は、練習場となっていた末原君の家へやってきた。そして、その日合わせたアニマルズの『朝陽のあたる家』での第1声が今でも耳に残っている。それまで楽器を演奏しながらの自分たちのルーズな歌い方とは違っていた。
 「歌う」ことにこだわった強い表現欲求が感じられる南君のボーカルを、皆が歓迎した。

 こうして、バンドの形が整った。


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