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「想い出ノート ~ 5人の高校生☆汗と笑顔の青春記」(後編)

 その話は、リマタが夏休みの課外  授業をサボって、県立図書館に行ったところから時始まっていた。

 そこで、彼ははキリシタンの財宝について書かれた古い本を見つけた。著作者は花田某氏と書かれていたが、フルネームは思い出せない。
 その本の中に、宝を埋めた場所を示す暗号のような文章を見つけたことが、ノートに書かれ始めた。でも、皆リマタの絵空事だと思い、軽い気持ちで読み飛ばしていた。
  それが微妙に変化し始めたのは、何回目かに、彼自身による暗号文の謎解きが書かれ始めた頃からだった。

 秘文にちりばめられた謎めいた言葉の意味を推理し、それに従って実際に行動を起こし、言葉の裏に込められた意味を、ひとつひとつ解き明かしていく様子がリアルに書かれてゆく。
 皆が惹き付けられ、次第にノートのメンバー間で、話題に上るようになっていった。

 僕らが通っていた高校の敷地は、福晶寺という古寺の跡地だった。
 島津家の菩提寺で、その裏手には島津斉彬はじめ歴代の藩主の墓が並んでいる。室町時代のはじめの頃、島津家第七代元久によって建立され、一時は僧侶が1500人もいた名寺だ。
 暗号文の具体的な内容までは思い出せないのだが、その墓地内の墓石や石棺の配置を照らし合わせると、謎めいていた文面からある意味が浮かび上がってきた。その最終的な解読には、ある古い地図が必要なことも分かってきた。解読された言葉は、その地図の上で初めて意味を成すのだが、そんなものが見つかるとは思えない。
 目前に見えているゴールに近づけないじれったさに、誰もが地団太踏む思いだった。
 立ちはばかる大きな壁に阻まれ、その苛立ちは次第に落胆へと変わっていった。

 それからしばらく経ったある朝、リマタは笑みを浮かべながら、一枚の書面を差し出した。

 「地図が見つかったよ!」

 骨董屋を巡り歩き、ようやく見つけたという古い地図を開き、自ら解読した内容に沿って、その上を指でなぞり、財宝が眠っている場所を特定した。

 それは、いつもの行動範囲から大分南に外れた、古寺の跡を含む公園の中だった。その寺は、飛鳥時代、百済の名僧日羅によって開基されたと伝えられ、天文11年(1542年)島津15代貴久のとき改宗して福昌寺の末寺となったという由来がある。暗号文と古い地図によって浮かび上がってきた結びつきは、歴史的背景とも符合していた。

 リマタの解読によると、財宝は、その公園内を流れる川のそばにある大きな木の根元近くを掘れば見つかる。
 僕らは、はやる気持ちを抑えつつ発掘計画を立てた。
 シャベル、ナイフ、ロープ、布袋など、必要な道具類を揃えるのは、秋山水の得意分野だった。

 計画が実行されたのは、いつごろだったろうか・・・。
 リマタの書き込みは、夏休みの課外をサボって図書館に行ったところから始まっている。ということは書き始めたのは、9月以降だ。それから2ヶ月ぐらいは経過していたように思う。雨に濡れてかなり寒い思いをしたので、10月下旬か、それ以降だったのではないか・・・。
 大体そんな見当を付けていたのだが、古いノートを引っ張り出して確認したところ・・・、

 なんと2月だったことがわかった。

 南国鹿児島と言えども、2月はやはり寒い。実行すれば、当然体が疲れ切る。だから、翌日はゆっくり休む必要がある。
 ということで、2日連休の日を待っていた。まだ週休2日制が施行される以前のことで、教師の研究会か何かで、学校が休みになる土曜日を待っていた。

 そしてその日がやってきた。

 ところが、その日は朝からあいにくの土砂降り。いくらなんでもこの悪天候だと中止するだろう。そう思って電話で連絡を取ってみると、中止することなど誰一人考えていなかった。
 考えてみれば、自分以外の3人は、いつも自転車通学をしており、雨の日は雨合羽を着て普通に通っていたのだ。

 集合場所がどこだったかは思い出せない。雨の中、4台の自転車を連ねて目的に向かった。3人とも毎日自転車に乗り付けていたので体力の差を見せつけられる思いだった。なぜそこまで飛ばすのだろうかと、恨めしく思いながら、最後尾を付いて行った。
 土砂降りの中では、雨具もさして役には立たなかった。叩きつける雨音に包まれ、目に雨が入るので顔をしかめながら、ペダルを漕いでいると、下着の中まで雨が入り込み、びしょ濡れになった。

 現地に到着すると、蛇行する小川の周囲、小山が連なり草木が生い茂り、苔に覆われた石道、石仏群などの遺跡群の中を、あちらこちらと歩き回り、条件に当てはまる場所を探し回った。
 足場が無くなると、川の中をザブザブと流れに逆らって歩いた。

 なかなか手がかりは掴めない。

 数知れない木々の中から特定される1本を絞り込むことは簡単なことではなかった。
 それもそうだ。わざわざ簡単に見つかるような場所に隠すはずもない。
 とにかく歩いて歩いて探し続けようと励まし合った。

 地図の上では点に過ぎないその地区も、実際に足を運んでみると、じつに広大だった。公園内にある自然遊歩道は、全長3キロにも及んでいる。これは、かなり広範囲を掘り起こしてみなければ、財宝は見つかりそうにない。4人の手足で掘り出せるほど、事は簡単ではないようだ。
 準備した道具では、せいぜい落とし穴一つ程度しか掘り起こせない。人目を避けて、こっそり掘り起こして富を手にするつもりでいたのだ。この思惑違いは、気分を萎えさせた。

 たとえ、自分たちが大人になって十分な資金を得たとしても、名勝地とされている場である。実際、この宝探しの1~2年後には鹿児島市の文化財に指定されている。そんな場所を誰にも知られず大掛かりに掘り起こすなど、まず不可能である。

 すぐそこにあるはずの財宝が、目の前から急速に遠ざかってゆく。

 がっくりと肩を落とし帰途に就いた。自転車に積んだ掘削用の道具が、無性に恥ずかしくもあった。要するに、自分たちのサイズに合わせて考えていたに過ぎない。

 来るときは猛スピードだった自転車も、ゆっくりゆっくりと進んだ。

 気持ちが昂ぶり、盛んに動き回っている間は平気だったが、落胆と疲れで動作の鈍くなった体は、降り注ぐ雨にやすやすと体温を奪われ、リマタの家に辿り着いたときには、みんな血の気の失せた顔で震えていた。

 タオルを貸してもらい体を拭き、ソファーに身を沈めたときは、ホッとした。
 湯気を立てるミルク入りのコーヒーの温かさが嬉しかった。

 外を見ると、いつの間にか雨も上がり、雲の切れ目から、空の輝きが見え始めていた。

  ** ** **

 もう50年も前のことになる。この話を、あなたは果たしてどんな気持ちで読んでくれていただろうか・・・。最後に出てきた宝探しのエピソード。話の展開だけを見ると、十分な下調べも無しにいきなり、真冬のそれも悪天候の中で敢行し、足場の悪い場所を、ただうろつき回って、すごすごと帰ってきて終わりである。いくら若かったと言えども、この行動は単純過ぎるように思える。しかも、これまで書いたことだけで全てではない。もっとバカバカしいことに、4人の中に1人だけ、猿芝居を演じ続けた人物がいるのだ。

 そう、リマタだ。

 全ては彼の創作だったのだ。県立図書館で見つけたという古書は、この世に存在しない。珍しい古地図を手にした彼が、そこからイメージを膨らませ、2つの寺の跡を結び付け、数ヶ月もかけて3人を騙し続け、巧みな誘導で虚構の世界へと引きずり込んだのである。
 暗号解読も、それ以前に、古書から見つけたという暗号文自体も、今考えると、怪しい部分が多かった。いや、今と言わず、当時でも疑わしさはうすうす感じていたが、できるものならば財宝を手に入れたいという要望を刺激されたのと、リマタの巧みな誘導で、知能指数150が自慢の武道家秋山水、美貌の芸術少年殺芸、ロックキーボード小僧トライトン、こいつら3人、ものの見事に根こそぎ担がれたのだ。

 リマタがこの話をノートに書き始めたころは、実際に宝探しに出かけるところまではイメージされていなかったのかも知れない。創作話を書いているうちに、周りが意外にもその気になり、あとは成り行き任せでそうなったということも考えられる。
 いずれにしても、このことでリマタを今更恨む奴などいない。まるで洗脳商法にまんまと引っかかった餌食みたいなものだが、被った実害と言えば、ずぶ濡れになりへとへとにはなったくらいのもの。ひとときの夢と得難い体験を与えてくれたのは事実であり、そのほのぼのとしたプレゼントに感謝している。

 しかし、朝も早くから皆と一緒になって、土砂降りの中を自転車で繰り出し、川の中や周囲を歩き回っていたとき、彼は一体何を考えていたのだろうか? まったくもって摩訶不思議な男である。

 その後、リマタのほうから事の真相が語られることはなかった。

 卒業から数年後、こちらから「あれは作り話だったのだろう」と、問いただしてみると、その時初めて、

 「良くできてただろう?」

 という答えが、笑みとともに返ってきた。

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