見出し画像

ルソー「エミール」

今回はNHKの100分de名著シリーズ、「自分のために生き、みんなのために生きる」を読みました。ルソーが書いた「エミール」についての解説書です。エミールは、「社会契約論」を実行するために必要なことを兼ね備えた人材をどのように育てられるのかをテーマにし、架空の人物『エミール』を理想的に育てていこうという物語です。では、ルソーが理想とする人材、そして理想の教育とはどのようなものだったのでしょうか。

1.ルソーが理想とした人物像

ルソーは「自由な社会」の理念を設計した思想家ですが、彼の著書である『社会契約論』の中で、「自由な社会」をつくるために、『一般意思』の概念を提示しました。『一般意思』とは、自分も含めた全員にとって利益となるものを指します。多数決で決めるのではなく、自分も他のみんなもハッピーになれる選択肢を、話し合いを通して見つけていく。それが「自由な社会」には必要だと述べています。『エミール』の中で彼は、「みんなのため」を考えられる人、そして「自分のため」に生きることができる、真の自由人を育てようとしました。この本を読んで、「自分のために」生きることは、現代の私たちに足りていないような気がしました。彼が言う「自分のため」とは、名誉や富、名声のような社会的評価で自分を図るのではなく、自分には何が必要か、自分はどう生きたいのか、そんな「自分の生き方」を自分の中に持っていることを指します。ルソーはこの本の中で、「みんなのため」だけに生きて、自分を犠牲にすること、「自分のため」だけに生きて社会に貢献しないことの対立を乗り越えようとします。

2.0歳から一歳ごろまでの乳幼児期

前提としてルソーは、「エミール」という架空の子どもを、差別的な偏見に満ちた社会から隔離し、家庭教師が完全にコントロールできる状況で育てます。「エミール」は孤児の設定なので、家庭教師とエミールの2人だけの生活の中で、理想の教育を施していきます。

乳幼児期の育て方について彼は、まず「自由な人間」になるには、自分の感覚や感情、欲求を自分のものとして自覚できるようになることが大事だと考えます。そこで、子どもを観察し、子どもの欲求に従って世話をしていきます。いつも決まった時間にお乳をやると、習慣から欲求が生じてしまうため、「本当の欲求」が生じたときにお乳をやるようにします。そして、子どもの感情に寄り添うことが大切にし、「泣いたらとりあえず哺乳瓶を口に突っ込む」のではなく、おなかがすいたのか、悲しいのか、怒っているのか、親が子どもの感情や欲求を承認し、それにふさわしい行動をすることで、子どもの感情や欲求を育てていきます。

3. 口が利けるようになってから十二歳くらいまで(児童期・少年前期)

この時期は、子どもに自由に行動させ、自らの経験を通して学ばせるようにします。ルソーは、強者の決めた命令に従うのではなく、自分たちで決めたルールに従うことにこそ自由があると考えます。そのため、親が「~してはいけない」と教えるのではなく、子どもが経験を通して「~をしてはいけないんだ」と気づくように教育します。子どもは自由に行動する中で、火のついた炭をつかもうとして火傷をしたり、重すぎるものはどうやっても持てないことを、経験から学んでいきます。ただ、実際に行ってしまうと生命に危険が及ぶようなときには、黙って制止します。そして、教科書に載っているような「真理」の順番ではなく、「好奇心」からなる連鎖によって学ばせるべきだ、と述べています。好奇心をそそる問いにすぐに答えるのではなく、子どもに自分で疑問を抱かせ、問題意識を持つようにさせます。また、そらまめを育てながら、労働と所有権、そして「正義」についても積極的に教育します。それから、「好奇心」に続いて「有用性」も学んでいきます。「それが何の役に立つのか」と子どもに問うことで、世間で価値があるとされているものをありがたがるのではなく、ほんとうに価値のあるものがわかる人間になるといいます。それから、労働と社会関係を教えるために、エミールにも職業体験をさせます。職業の体験から、エミールは労働の習慣を覚え、身分の相違を感じたり、経済の貧富の差も少しずつ感じていきます。そのようにしてエミールは十五歳になり、自分のことは自分一人で考えることができる、かなり自立した少年に育ちます。

4. 十五歳から二十歳までの時期(思春期・青年期)

大人になる直前のこの時期は「自己愛」をテーマとします。ここで、ルソーが区別した「自己愛」と「自尊心」の違いを簡単に説明します。ルソーは、人は「自尊心」によって満足することはできないとしています。「自尊心」は、自分が他人よりも優れた存在でありたいという欲望のことです。この競争心には際限がなく、自分より優れた人はいくらでもでてくるため、いつまでたっても満足することはできません。彼は「自尊心」によってではなく、自分に対する愛、「自己愛」によって自分を満足させることができるとしています。さらにルソーは、「自己愛」こそが「他人への愛」につながっていくと述べています。自分に対する愛があるからこそ他人を愛することができるというのです。それはなぜかも、ルソーは説明しています。彼は、弱さや苦しみに対する「共感」が、人と人を結びつけて、お互いに助け合う気持ちを生むといいます。「あわれむ」という行為の中には、他人の不幸を悲しみながらも、自分には「あわれむ」ことができる余裕がある、と感じることができます。彼は、「自分の余った力を他人にふりむけよ」と言います。善行をしたときに、「よいことをしてよかった。自分は悪い人間ではないんだな」と思うことは偽善ではなく、むしろ善行は、「自分が良いことをしている」という「喜び」に支えられて成立するというのが彼の発想です。そのため、自分の喜びや快を大事にするべきなのです。ルソーは、「最大の楽しみは自分自身に満足すること」と言っています。彼はまた、人間の良心は理屈抜きに、内から自分に直接語りかけてくるものだとし、「心に直接語りかけてくるものを大事にすべきだ」と言います。

5. 二十歳以降(青年期最後の時期)

最後の章でエミールは、妻となるソフィーという女性と出会います。家庭教師は最後のレッスンとしてエミールに、欲望に自分を支配させるのではなく、良心によって欲望を支配すべきだと教えます。自分の欲望に抵抗できない者は、どんな恐ろしい罪に陥ることか、と家庭教師は言います。欲望を最高の掟とするのではなく、自分の良心が最高の掟にならなくてはならない。ルソーは、自分で自分をコントロールするときにこそ「自由」があると考えています。欲望に支配されず、義務・美徳をめがけて生きることにこそ自由と幸福があるのです。

6. まとめ

ルソーは、ただ欲望のままに生きることや、他人からの評価や承認を求めて右往左往することは自由ではないといいます。欲望をコントロールする良心を持ち、集団や社会にほんとうの意味で役に立つにはどうすればよいかを問いながら、しっかりと「自分の軸」をもって生きるとき、人は初めて自由だと言える、と彼は考えます。今、学校の教室で大変なのは、子どもたちがお互いの腹の内を探りながら、空気を読むゲームをしていることだと言われています。そうではなく、学校は、他の生徒たちと意見を出し合い、お互いの想いを共有することで「安心」を生みだし、自分たちの教室を自分たちで運営していく自治の経験を積むことができる場所であるべきだと、この本の筆者は考えています。ルソーの教育論から、現代の私たちが学べることはたくさんありそうです :)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?