見出し画像

ねずみ

先日外を歩いていたら、道端で死んでいるねずみを見つけた。目を開いたまま、ぐにゃりと路肩に寝そべるように横たわっており、最初は生きているように見えた。死んで間もない状態だったのかもしれない。
はじめ、わたしは「あ、ねずみだ」と驚いて数秒見つめたのち、そのまま通り過ぎた。ねずみの毛は何だか柔らかそうで、動物として綺麗だなとすら思った。
それから思い立って道を引き返し、そのねずみをもう一度よく見た。まったく動かないので、やはり死んでいるようだ。黒茶灰の毛が混じり合ったボディは、うちにいるキジトラ猫の毛を彷彿とさせた。害獣というネガティブなイメージの強いねずみだけど、思ったよりも嫌な印象はなく、むしろ毛艶が良くて可愛らしい動物に見えた。写真を撮ってあとで見返してみても、やはりこの印象は変わらなかった。

そんなわたしは、実際はねずみ類の動物があまり好きではない。動物には興味がある方だけど、ねずみ類の動物にはどうも心が動かなかった。その理由は、短大時代の出来事に紐づいている可能性が高い。

わたしの所属する学科の授業のひとつに、生き物を解剖して体の作りを学ぶものがあった。大学の特性上、この解剖学は決して珍しい授業ではなく、それゆえに大学内には解剖した生き物たちを弔う墓があった。授業を終えたあと、その墓に手を合わせた記憶がある。
その解剖の授業の中で解剖することになったのが、赤い目をした大ぶりな白いラットだった。THEねずみ、といった風貌のねずみだ。もちろん解剖する前は生きており、ケースの中を元気に動き回っている。生徒たちはこのラットを、薬品を使って安楽死させることから始めなくてはならない。

ちなみにねずみは、大きさによってマウスとラットに呼び分けるらしい。ハツカネズミなどの小さなねずみをマウス、ドブネズミなど大型のものをラットと呼ぶらしい。わたしが路肩で発見したねずみはドブネズミだったらしく、まさしく解剖したラットと同種族であった。

解剖の話に戻る。
詳細は割愛するが、しかるべき処置によって安楽死したラットを、生徒たちは手順に沿って丁寧に解剖していく。全員で解剖するわけにはいかないので、解剖する人、サポートする人、記録をとる人など役割分担をして動く。主体性のないわたしは記録係か何かだったはずで、その時初めてラットをまじまじと見た。白いボディから太くて長い尻尾が生えていて、この尻尾には一切毛が生えていない。その部分だけが妙にグロテスクで、体がぞわりとした。以来わたしはねずみに、ひいてはねずみの尻尾に生理的な嫌悪を抱きやすくなった。

重要なのはこの尻尾の話で、その後の解剖の話に特別なストーリーはないのだけど…。
ただ授業が始まる前、殺生や血を見ることに大袈裟に拒否と恐怖を示し、甲高い声で騒いでいた女子生徒たちが、結局はこの授業を遂行しなければ先に進めないので、しだいその高い声をひそめ、最終的に黙々と解剖に臨む姿は印象的だった。「こういう授業で卒倒するのは男子生徒が多く、女子生徒は意外と肝が据わっている」と言っていた教授の言葉は一理あるのか、どちらかといえば男子生徒の方が殺気立っているように見えた。

こういった経緯もあって、ねずみ類を好まない自分なのだけど、なぜかあのねずみにだけは、好意的な気持ちすら抱いている。その理由は、もしかしたら、それが動かぬものだったからかもしれない。生き生きと動き回る、そこだけ裸のような尻尾を持つねずみだったら、こうは思わなかったかもしれない。そう思うと、自分が残酷な人間のような気がしてしまう。一方で、もっと単純な理由、そのねずみの柔らかな毛を見た時「うちの猫みたいだな」と思った、ただその好意的な感情に影響されただけという可能性もある。
理由をひとつには絞れないが、とにかく妙に気になる1匹のドブネズミを見かけた、という最近の話であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?