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蝉を気にする

夏が特別好きだ、と思ったことはないが、今年の夏は始終「蝉」のことを気にしていた。今年は蝉が鳴きはじめるのが、ひどく遅い気がしたからである。
すでに猛暑の様相を呈していた6月頃から、わたしは蝉のことを気にしていた。去年は、もうこの時期には蝉の鳴き声が聞こえていた気がするけれど…。そう思いながら、ベランダに出て洗濯物を干すたびに耳を澄ませた。

7月に入ってからも、やはり蝉の鳴き声は聞こえてこなかった。6月からの不安がさらに大きくなる。6月と同様、わたしはベランダに出るたびに耳を澄ませた。
そうして先々週くらいのことだろうか。美術展示を見に都心へ出かけたカンカン照りのある日、自分にとって今年初めてと思われる蝉の鳴き声を聞いた。美術館までの道には緑がたくさんあり、おずおずとした蝉の鳴き声を聞きながら、ああ、この場所なら蝉が快適に過ごせそうだな、などと思った。

しかしながら、自宅付近では相変わらず蝉の鳴き声がしなかった。わたしは再び不安を覚える。今年のおかしいほどの暑さで、周辺の蝉たちは全滅してしまったのではないか。「蝉が生きられないほどのひどい暑さ」というニュースがテレビで流れたとしても、納得してしまうほどの暑さだから、余計に蝉の生存状況が気になって仕方がなかった。
このように蝉のことばかり考えながら過ごしてきたが、先日洗濯物を干していたら、「遅ればせながら…」といった大変のんびりとした調子で蝉の鳴き声が聞こえてきた。その時、わたしはイヤホンをつけてラジオを聴いていたのだけど、慌てて耳からそれを外して蝉の鳴き声をキャッチすることに努める。そして洗濯物を干す手を止め、しばしその鳴き声に聞き入った。そして、よかった、と思った。今年も蝉が鳴いている、よかった、と。

言うなれば、『毎年夏に会う約束をしている友人と、突然連絡が取れなくなった』といった心境だったのかもしれない。毎年のことだからこそ、いつもこの時期に聞こえていたはずのものが聞こえないことに、余計に不安を覚えてしまったのだ。いずれにせよ今年も蝉の鳴き声を聞くことができ、現在は心中穏やかである。

別に夏のことも蝉のことも、さほど好きではないが、もしかすると『夏の音』はさほど嫌いじゃないのかもしれない。

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