見出し画像

映画「ブラック・スワン」の指輪 〈映画の指輪のつくり方〉第50回

こうなってしまえたらいいのに
2010年「ブラック・スワン(Black Swan)」
文・みねこ美根(2021年6月21日連載公開)

子供の頃、バレエを習わせてもらっていた。体いっぱいに、音楽の中で踊るのが好きだった。でも段々と、自分の体型が気になり始め、伸ばしても曲がって見える膝が気になり始め、伸びきらないつま先が気になり始め、上手く微笑むことができない顔が気になり始め、少し背伸びした役の踊りに挑戦したが、練習しても上手くいかず、発表会で失敗、その後も貧血で倒れたりして、結局、高校受験のタイミングでやめてしまった。

間違ったらどうしよう、あの子はうまく踊るのに踊れない、私の方がうまくやれているはずだ、太って見えるかな、下手だって思われるかな、このレオタード変かな、とか、そんなことばかりずっと考えていた。鏡に映る自分をどんどん嫌いになって、先生の視線も怖く感じた。バレエ教室の雰囲気は優しい方だったが、レッスン中は先生以外、誰も一言も言葉を発さない緊張感があった。今でも時々夢に見る。冷たい白いロッカー、ガタガタ音がする引き戸、音を立てないように歩く廊下、物凄い勢いで水がでる蛇口、絵が飾られた緑色のトイレ、鏡に映った逆さまの時計、レッスンバー。楽しい時もたくさんあったけど、身体や心で感じていたその緊張感もよみがえってくる。

今回の映画はナタリー・ポートマンがバレリーナ役を演じた「ブラック・スワン」。ダーレン・アロノフスキー監督の作品は、「マザー!」しか見たことがなかったのでこれが2作目。「マザー!」の意図された気持ち悪さが好きで、一時期「マザー!」のポスターをスマホの待ち受けにしていた。本作は、主人公のニナの心情と今の自分に通じるものがあり、変に驚いてしまった(過激なシーンのところに共通点はないから安心しろよ!)。

ニナはニューヨークのバレエ団に所属するソリストのバレリーナ。真面目でやや神経質な彼女は、振付師のトマに才能を見出され、次公演の「白鳥の湖」の主役に抜擢される。「白鳥の湖」は、主役が、人間から呪いで白鳥の姿を変えられ王子と恋に落ちる純真なオデット姫と、邪悪に王子を誘惑する悪魔の娘・黒鳥オディール姫の、一人二役を演じるのが大きな見どころだ。ニナは白鳥の踊りは得意としていたが、黒鳥の官能的で力強い踊りはどうしてもうまく踊れず、精神的に追い込まれていく…と言う話。
話の序盤、ニナが覚えのない背中のひっかき傷があることに気が付くシーンがある。これ私も首がめちゃめちゃかゆくなることがあるから、分かるの!(違うか笑) 気持ちがむしゃくしゃしたり疲れたりした時にかゆくなって掻いちゃう。ニナとは違って掻いてる自覚は全然あるけど、「ありゃ、なんか酷くなってる…」って鏡を見る感覚が似てるなって感じた。このね、鏡ってね、本当に厄介なんだ。バレエやるときは嫌でも自分が映る。自分はうまくやってるはずなのに、全然動けてない不格好で醜い自分が映り込む。この映画の“もう一人の自分”、というテーマ性が、鏡と相まって、気持ち悪さが増されていて、すごくこの感覚分かるなぁと思った。

どうしても魅力的に黒鳥を踊れないニナがトマに謝るシーンで、トマが「いちいち謝るな!謝るのは臆病者の悪い癖だ。」「休みたいのか?一日?二日?一か月か?泣き言をいうな」と叱責する。私もたくさん謝ってしまうタイプで、「すみません…」と口をついて出てしまうから、ニナの気持ちがよく分かる。やるしかないんだけど、「すみません…」とつい言ってしまうニナの表情に胸が苦しい。話変わるんだけど、最近友達に「休みの日何してる?」って聞かれることが多くて、返答に悩むことがある。休みの日が決まってないというのが理由としてあるが、自分はスケジュール管理がド下手でとろいので、休んだら終わりで、チャンスも来なくなるかもしれない、成長もできない、と思って、いつもわたわた何かしなくちゃという気持ちに追われている。本当にやれる人は、休みと頑張る日を切り替えてやれるんだと思う。精神的なニナの疲労、愚痴や落ち込む気持ちも許されない、全ては自分のためだから、という追い詰められ方は見てて分かるからしんどい。

「貴方みたいに完璧になりたかったの」と前任のプリマドンナであるべスにニナが訴えるシーン。ベスは「完璧なんかじゃない!何も!何も!何も!」と答え、衝撃的な描写が続く。このベス役はウィノナ・ライダー!「ビートルジュース(連載第42回で紹介)」で可愛い女の子を演じていたウィノナが本作でお局的に扱われていることにびっくりだが、主役を降ろされた失意と、プライドが高く、美しくヒステリックなプリマの演技が、本当にすごくて、痛々しく絶望的な姿に逆に見惚れる。このベスという人物も、孤独の中、高みを追い求め、自分自身と戦ってきたのだろう。ニナが目にする、憧れていた人の行く末。自分を否定する言葉が悲しい。
先生の視線が気になるニナの描写も、あの得も言われぬ不安感に「わかるー」の嵐。ニナが持っていない官能的な魅力を持つリリーは、ニナの代役でもあり、役を奪われるのではないかという不安にさいなまれていた。ニナは、自分が踊っている最中に、振付師のトマがリリーを見ていることが気になって仕方がない。また別のシーンでは、幻覚と現実の区別がつかなくなっていくニナが「私の番だ!」叫ぶ。そうこの気持ちなの!私を見てくれ、私が輝くんだ、私の番なんだよ!!邪魔するな!!恐ろしい誰かの視線と焦る気持ちと何もかも足りない自分を奮い立たせるように使命感に酔っていく感覚、号泣するニナが本番直前にメイクを直すあの顔。ニナの「この世界しかない」というぎりぎり感が、褒められて子どものように弱々しくはにかむ顔や、失敗して酷く落ち込んでぐらぐらと必死にすがりつく姿から、ひしひしと感じられて、そして、この1時間40分の作品の中で、長い間の苦労や悲しみがあってニナはここまできたんだと思わせるナタリー・ポートマンの演技が、とにかくすごい。ニナが目にする恐ろしい世界がそこにあると、納得させられる。

ちなみに、この白鳥の羽ばたく腕使い、やってみたら、めっちゃ肩ゴキゴキ言うじゃん!これはよいトレーニング(何の?(笑))になるかも。いろんなダンサーの羽ばたきをYouTubeとかで見てみると、良い意味で気持ち悪くて本当に白鳥のよう。ダンサーによって違う羽ばたきを見てみるのも面白いかもね。
この映画を見終わった後、私も、もうこうなってしまえたらいい、と思った。しばらくして、ぼたぼたと気持ちや涙が零れ落ちないように、もっと強くなれたらなとも思った。気持ちはぐるぐると目まぐるしく、プライドや劣等感、プレッシャー、自分のいる意味が、頭の中でみしみしといっぱいになって絡み合って泳いでいる。どこへ向かうのか。どこまで行くのか。とにかく強くならないといけない。でもニナは弱かったわけではない。追い求めることは、苦しい。でも行くのだ。行くのだ。行くのだ。“私の番”がやってくるはずだから。

******************
モチーフ:黒鳥のニナ、白い羽根、オルゴール、ニナのお母さんが買ってきたケーキ、ニナのお母さんの絵、ベスの香水、ベスの口紅、ベスのナイフ、トウシューズ、ニナのぬいぐるみ、背中の傷を隠すパウダーとパフ
音楽:「Swan Lake (Scene)」Pyotr Tchaikovskyピアノカバー

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?