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証として。

写真が好き。
写真を撮るのが好き。

いつでも思い出を振り返られる。
その瞬間の人、場所、気持ちが蘇る。

私が撮った写真なら
その時の私の瞳に映った「瞬間」を「時」として感じられる。

私を撮ってくれた写真なら
その時の私にくれたその人の「眼差し」に立てる。

昔からデジカメを持ち歩いて、写真を撮ることが好きだった祖父の米寿のお祝いに、娘、孫、ひ孫達から送られたのはインスタントカメラだった。
80代後半の祖父は時折、現像できずに撮り溜めた写真をデジカメの小さな画面で眺めていた。
そのため、すぐにその場で現像ができるチェキを贈ることに決めた。

普段はこだわりが強く、あまり贈り物にも喜ばない祖父が素直に口元を綻ばして嬉しそうにレンズを覗いていた姿が印象的だった。
そのカメラで初めて撮影した写真は、私達だった。



カメラには喜んでいた祖父だったが、しばしば撮るものがないと呟いていた。近くの公園に連れて行ったり、育てている花を撮ってみようと提案してみたりした。

お盆の季節。
迎え火としてベランダには提灯がぶら下がり、お仏壇の前にはご先祖様を迎え入れるための果物や野菜の馬と牛が飾られていた。

「せっかくだから、お盆の提灯撮っておいたら?」

となんとなく提案したところ、思いもよらず祖父は仏壇を撮影した。恐らく、チェキで仏壇を撮影したのは全世界でも祖父だけだろう。でも、祖父に見えていたのは仏壇ではなく、祖母だったのかもしれない。

いつも撮影する祖父の傍らに居たのは祖母だった。

写真は、撮る人の「眼差し」なのだと思う。
目に映る人や物、景色のすべてが一瞬たりとも同じ瞬間はなくて、たまらなく愛おしくてシャッターを下ろすのだ。

私がそこにいて
あなたがそこにいたという証として。


お盆にお仏壇を撮影する祖父

#写真が好き

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