見出し画像

マンガデザイナーズラボ10周年記念❸~大阪芸術大学での出会い~

どうもどうも、吉良です。

2011年10月28日に創設した、僕が代表を務める「マンガデザイナーズラボ株式会社」は、先日10周年を迎えました。

そのきっかけとなった電通時代の経験と想い、起業、また、僕が客員教授として毎週教えている大阪芸術大学について数回にわけて振り返っています。今回は3回目になります。

【きっかけ①・電通時代】

第1回目はこちらをご覧ください。

【きっかけ②・ターゲットメディアソリューション設立】

第2回目はこちらをご覧ください。

【きっかけ③・大阪芸術大学での講義】

僕が大阪芸術大学で講義を始めたのが2006年。
マンガデザインの原点になる、「グラフィックデザイン」と「マンガ」の「マンガ」部分との出会いは、この2006年からの大阪芸術大学での「メディアの基礎」の講義でした。

その前年の2005年に新設され、小池一夫先生が学科長を務められていた「キャラクター造形学科」という漫画家を目指す学生が多くいる学科に僕は所属することになりました。

当時は、同年に京都精華大学に日本発で現在も唯一である「マンガ学部」が創設され、マンガが専門学校で学ぶものから大学でも学ぶものに変わっていき、マンガだけでなく幅広い分野の知識をもった漫画家が成長する土台ができた時代でした。

小池先生は、漫画家を目指すために出版社への道しか見えていない学生に対し、IT革命が起きてメディアが多様化していくこの時代では、マンガは様々なメディアに載せることもできるのだという可能性を学生たちに伝えたかったのです。そのために、僕のメディアの知識を必要としていただきました。

実際に、当時は紙媒体でアナログで制作するのが当たり前だったマンガが、今日ではデジタルでも制作されるようになり、紙に出力するのではなくプラットフォームやSNS等でデータとして公表することが主流となり、さらにはその作品を動画にすることが当たり前になってきています。

僕は、最初メディアの担当教授としてキャラクター造形学科の約200名の学生を相手に講義をはじめました。当時漫画コースの講義をされていた漫画家教授(バロン吉元先生、日野日出志先生など)との交流もあり、マンガの世界とのつながりを持つことができました。

僕の講義では、当時から現在も変わらず、「リアクションペーパー」と呼んでいる毎週の課題を学生に提出してもらっています。

初めてキャラクター造形学科の学生に提出してもらった自由課題作品を見たとき、僕は衝撃を受けました。マンガの内容のおもしろさ、絵のうまさ、素晴らしい才能をもった学生がこんなにも集まっているとは思いもよらなかったからです。

それと同時に、彼らの力があれば電通で僕ができなかったことが実現できるかもしれない、マンガで新しいデザインをつくれるかもしれない、と希望も持ちました。そして、その理想の世界に考えを巡らせながら、講義を続けていました。

キャラクター造形学科は2005年にできた学科であるため、初の卒業生は2009年になるまでいませんでした。その2009年を迎えたとき、また僕は衝撃を受けました。当たり前のことだったのかもしれませんが、漫画家を目指している学生の就職がほとんど思い通りにならなかったのです。

当時ビジネスとしてマンガを描ける仕事は「漫画家」しかなく、学生たちが雑誌以外のメディアに載せることを考えても、そのノウハウがまったくない状況だったのです。

この状況を受け、小池先生やバロン吉元先生と「これだけ才能がある学生がいるのに漫画家以外にマンガを活かせる道がないのは考えものですね」とよく話をしました。

僕は、学生たちに講義をしていくなかで、広告デザインの世界でマンガを使う道も作れるのではないかと考えていました。しかし、広告デザインの世界はマンガを広告として使ううえで大きな障害となってきた「版権」をあまり主張しない、マンガの世界と相反する思考であることへの葛藤もありました。

僕の展望を伝えたとき、小池先生からは、「その世界をあなたが創りなさい」と告げられ、学生たちの就職の道が拓けること、裾野が広がることはとても良いことだと応援してくださいました。

そこから、僕は本当に学生たちのマンガは広告として成り立つのかを確かめるために、現役生や卒業生の作品を親交の深いクライアントさんに見せたり、彼らの描くマンガを使った広告の世界に可能性はあるか相談をしたりしました。

一番親身になって相談に乗ってくれたのが岡康道さんが立ち上げたTUGBOATのクリエイティブディレクター川口清勝氏でした。おかげでマンガデザイナーズラボ設立の覚悟ができました。

「マンガ」を学べる学科は関東の大学には少なく、関西の大学にある強みのひとつであるため、可能性は大きいと多くの方からの心強い言葉もいただき、ついに2011年10月28日に「マンガデザイナーズラボ」を設立しました。

出版色の強い「マンガ」と広告色の強い「グラフィックデザイン」の2つのメリット・特徴を融合して新しいものができるのではないか、と考えて「マンガデザイン(R)という広告モデルを創り出し、マンガを学ぶ学生たちに漫画家になる以外の道を拓きました。

大阪芸術大学でメディアの授業をしなければ、僕は一生この素晴らしい才能を持った学生がたくさんいる事実も、それにもかかわらず全く就職することにつながらない現実を知ることも、マンガデザイナーズラボを設立することもなかったでしょう。

この奇跡的なできごとに感謝したいと改めて感じます。
次回はマンガデザイナーズラボを設立してからをお話ししていきます。

画像1


最後までお読みいただきありがとうございました! スキ、コメント欄への感想、リクエスト、シェア等、大歓迎です。 スキ、フォロー時にはランダムで吉良語録メッセージをお送りしておりますのでお楽しみください!