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若い世代(Z世代)を寝かさないプレゼンテーションの方法お伝えします。なぜ相手の目を見るのか、伝える側の心の立ち位置❷


どうもどうも、吉良です。

前回は「教学相長也」のお話しを中心に、教えるときの心の立ち位置をテーマに若い世代(Z世代)とコミュニケーションを取りながらおこなう講義やプレゼンテーションの方法をお話ししました。

今回は、「大学での学び」についてひも解きながら、さらに詳しく僕が大学で教えるときに心がけていることをお伝えしていきます。

【1】生徒と学生の違い

「大学での学び」を考えるにあたり、まずは高校生と大学生の違いから見ていきましょう。言葉の違いの視点から見ると、高校生までは「生徒」と呼ばれていた人が、大学生になって「学生」と呼ばれるようになります。この違いはなんでしょうか。

文字からひも解くと、生徒と学生で「生」という漢字は共通ですが、「徒」「学」という文字に変わりますね。

「徒」とは漢字源によると「教え子、未熟な人々」という意味があり、「生徒」とは日本国語大辞典によると「高等学校・中学校で教育を受ける者」と定義されています。
「生徒」は教えを受ける、受動的な側面が強い言葉であると読み取れます。

一方で、「学」とは日本国語大辞典によると「学問や技芸などを、教えを受けて身につける」という意味があり、「学生」とは日本国語大辞典によると「学問をしている人」と定義されています。
「学生」は自ら学ぶ、研究する、能動的な側面が強い言葉であると読み取れます。

高校のほとんどは学校側によって決められた時間割に沿って、学習指導要領に定められた内容を学んでいきますが、大学は、各個人が修めたい学問を多様な分野から選び、さらにその中から自分で講義を選択して時間割を作成していきます。

つまり、大学では学び方は自由であり、能動的に自由な学びをする権利が学ぶ側にあるということです。ご家族に学費を負担していただいている面もあるかと思いますが、大学生は他人に迷惑さえかけなければどのようにその講義に向き合っても、何を目的に個々の講義を聞いていても構わないのです。

それにも関わらず、高校までのように学習指導要領どおりにこれを習得すべきと決めつけて一方的に教えていては、一部の学生以外にとって講義はつまらないものとなり、僕の大学時代みたいな寝てしまう学生が多発してしまうことでしょう。

それに加えてそんな先生ほど、「起きろ」「集中して聞きなさい」などと、あたかも学生側が悪いかのように注意をしがちであると感じますが、果たして本当に学生側の問題だけなのでしょうか。僕はそうは思いません。

【2】学生が寝てしまう原因とは

僕は、学生を寝かせてしまう95%の責任は教える側にあると考えています。
それぞれ異なった目的を持って学生たちは学びに来ているのに、自由な学びができない、自分の特徴・ストロングポイントを生かせない、気づいてもらえない、何年も同じ話を使って凝り固まった講義をし続けている、自分の考えをただ押し付けている、そんな講義で100分近く寝ずにいられるほうが天才ではないでしょうか。

そもそも先生側が寝ても仕方がないと思っていたら学生は寝ます。学生ひとりひとりの目を見て、全員に向けて講義をしていることを伝えなければ伝えたい想いは届きません。

目を見る重要性はこちらもぜひご覧ください。

一方的に伝える講義ではなく、大切なプレゼンテーションだと思って学生に向き合えば状況は変わるはずです。重要なプレゼンテーションの場で相手を寝かせてしまったら、結果は明らかですよね。つまり、学生の興味を向上させる努力を全くしない講義をしてしまったら寝たくもなるはずです。

大学で教えようと決断した時、前述の「教学相長也」の精神と共に、心に決めたことがもう一つありました。それは大学時代の僕を深く省み「ひとりの学生も寝かさない講義を実践したい」ということです。

これは、1997年に僕が初めて教壇に立った中国人民大学で、中国の大学生にはできていたことです。だから、日本の大学生もできなければならないと、多くの方は考えるかもしれませんが、そうではありません。僕が学生を寝かさない講義の提供をしなければならないのです。

そのために講義内容に向き合い、カリキュラム並びにシラバスへの工夫を施しました。リアクションペーパー(❶参照)を使って学生ひとりひとりの考え方を受け止め、その書かれた学生の生の声やその日に起こったトピックスを取り上げた最新の話を全ての学生と目を合わせながら行い、多くの学生の考え方を尊重し合う講義をおこなってきました。

その結果、かなり確率は低いですが、実際にひとりの学生も寝かさない講義を達成できている日もあります。僕は受講している学生の4割が寝たらすぐに先生をやめると決めて講義をしています。教室の半数に近い学生が興味を持てない講義をしてしまったら先生失格だと思うからです。

つまり、ほとんどの学生が起きている現在は、学生たちが僕が講義することを認めてくれているということです。今後も体力が続く限り学生たちに合わせた講義をおこなっていくつもりでいます。

【3】講義の主役を守る

最後に、講義の主役は誰でしょうか。それは「学ぼうとしている学生」です。この主役のために、講義を受けやすい環境を創る必要があります。

もちろん、学ぶ意欲のない学生は別です。
やる気のない学生が、主役である学ぼうとしている学生を妨げることを決して許してはいけません。講義から学びを得ようとする学生の集中の妨害となる不必要な会話はあってはなりません。僕はそのような学生がいたら、すぐに教室から退出させます。

やる気がないのであれば、黙って寝てくれればまだ害はありません。気が向かないのであればはじめから講義に来なければ良いのです。

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日本女子大学に続き、2006年からは総合芸術大学と呼ばれる大阪芸術大学の客員教授として多くの講義を担当しています。学ぶ分野が異なることもあり、学科によって学生の興味関心が異なり、幅広い世界観を持った学生たちに出逢えています。

まさに僕を成長させ続けてくれる「教学相長也」の学舎である大阪芸術大学に呼んでくださった故・小池一夫先生にも感謝の気持ちでいっぱいです。

どの大学の講義でも「教学相長也」の精神は変わることなく、日々学生と共に成長させていただいています。

20年以上続けている日本女子大学、16年になる大阪芸術大学、いずれも「もうやめてください」とは言われず、「来年もお願いします」と言っていただけるありがたさを噛みしめて、常に学生たちに感謝しながら今期も講義をおこなっていきます。

そしてその講義の話題で大学に預けて下さっているご家族と学生とのコミュニケーションがご家庭で広がれば本望です。

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