みすず

大学生です 友達や先輩にはなかなか口にできない、自分の心について書いていきたいです

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最近の記事

10与えて1も返ってくる

人間関係において 「10与えて1返ってくれば、いい方だよ!」 なんて言葉をよく耳にする気がします。 けれども、これ普通納得いきませんよね。 見返りを求めるようななったら友情も恋愛も終わりなんて言いますが、 10与えたら10返ってきてほしいと思うのが普通の人だと思います。 そうでないと、相手に自分は大事にされていないのかなって感じる人も少なくない。 でも実際人間関係なんてそんなに単純なものでもない。 自分が相手に10与えたとして、与えたつもりになってるとして、本

    • 不幸が人を成長させる

      人間誰しもが幸福を追求して生きています 幸福は普遍的な人生の目的と言えるかもしれません それゆえか、人間は幸福を感じるときにその幸福に溺れ考えることをやめます 「楽しい、嬉しい」こうした至福の感情を噛み締める瞬間、それ以外の思考は一切停止する しかしながら大抵の幸福というのは永続的なものでなく遅かれ早かれ失われてしまうものです そして不幸に陥った時にこそ人間は失われた幸福を取り戻すために悩み悩み尽くし、その末に成長を遂げる 何事においても大した才能に恵まれなかった

      • 欲張りな僕

        当たり前に見えることが一番当たり前じゃない。 僕のモットーです。今までの人生でもっとも痛感したことです。 今、目の前にあることが本当はいつ失われてもおかしくないものであると感じながら生きる。自分の世界に映りにくい幸せに気づいて感謝できるように。 そんな風に生きられれば自分の不幸ばかり嘆き後悔する人生でない、充足した人生が送れるはず、と肝に命じています。 けれども、どうしてだろう。これは人間の本能なのだろうか。 気づけばいつも、「もっと」こうなれば、と現状に満足できて

        • 多趣味は中途半端か唯一無二か

          とあるツイートを目にした。 「1つのことを極めている人に憧れるが、自分は多趣味で何もかもが中途半端。自分を変えて一つに絞るのは難しい。モヤモヤするけどゆっくり頑張っていこう。」 という内容の物語がコマ割りで綴られていた。 このツイートには3万以上のリツイート、12万以上のいいねが送られていて多くの方がこの作者に共感するコメントを送っていた。 僕自身、知人から「多趣味な人」という評価を受けることが多い。 けれども、僕はこの作者とは対照的に多趣味ということを積極的に捉え

        10与えて1も返ってくる

          みんなから好かれたい僕は悪か

          僕は昔からプライドが高いってよく言われます 実際それは自覚してます すぐ周りと自分を比べてしまって、「あいつよりは上だ」「あいつより下だ、悔しい」と勝手に考えてしまいます 自分の中で一番醜い部分です 最近ではある程度コントロールする術も身につけていい方向に活かすこともできるようになって来はしましたが相変わらず嫌いです だから、「どうして自分はこんな人間なんだろう」「どうすれば直せるんだろう」ということをよく考えていました そして最近、このプライドの根源が承認欲求に

          みんなから好かれたい僕は悪か

          素直になりたい

          自分はバスケットボール部に所属しています。部の先輩の一人に、いつも明るくて周りの皆から好かれている人がいて、自分は彼のことを尊敬しています。その先輩は、地元が同じということもあってか、僕のことを気に入ってくれていてとてもよくしてくれます。 ある日の部活帰り、その先輩との会話。 先輩「一年も今日みんな集まって飯行くんか、お前ら相変わらず仲良いな笑」 僕「そんなにですよ笑、多分今日も行きますけどね」 先輩「一年で飯行く時って、お前がみんなを誘うんやろ??」 僕「いや別に

          素直になりたい

          人生観

          今までの人生を後悔するっていうのは本当に悲しいことです 人生はやり直せません やり直せない過去のことに関して一々、もっとあーしてればとか、こーしてればとか考え始めたらその時々の自分の未熟さを呪って自分のことが嫌いになってしまいます 自分のことを嫌いになってしまうと、この世界の何もかもを楽しむことができなくなります ぼくにはこれといって他人よりも秀でてる点がありません あるとすればやけに高くて自分でも鬱陶しい自尊心くらいです 中高生のときは自分の才能のなさを日常的に