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不登校時代にクラスメイト達から届いた手紙を今になって捨てた話

IP漏れなんかは気にせず、まぁ何かしらで身バレしてもそんなにたいそうなことはないか、と思いつつこれを書いています。

ネットに書くことかどうかと悩みはしましたが誰かの目にとまって、こんなやつもおるんだなぁ~程度に受け取ってもらえればいいかなと思って記事にしようと思い立ち今に至ります。

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 自分は小学校から中学校の終わりまで不登校で、小学生の頃は別室登校、中学生の頃は完全に学校に行かない期間があったり夕方登校をする期間があったり学習支援施設に通ったりしていたりしました。
現在の不登校の定義で言えば小学生の時は別室登校といえども不登校だったのですけどもね、年間30日以上は休んでいましたし。

 小学校の頃は最初は保健室登校をさせてもらっていて、人がたくさん出入りするということから、途中から特別教室というか、自然資料館のような教室があってそこで一日の大半を過ごしていました。ガラスケースに入っていた三葉虫の化石とか、水槽に飼われていた亀さんや魚さんとにらめっこをしていました。
授業中は基本的に自習をしていましたが本を読んだりして過ごしていました。けれども学校にいるということ自体が個人的にかなりキツかったため一日いることはかなり少なかったように思えます。
 幸いにも気性が激しい先生や、あからさまに私自身を「ハズレ」扱いするような先生にぶち当たることはなく、というか学校側が気を使ってくれていたのだと思いますけども、わりとそこは平和に暮らしていました。

きっかけのはなし

 そもそもきっかけですけども、人の目が怖かったんですね、朝の会(出席確認とかする時間)でスピーチというものがあって人の前でしゃべろう!という取り組みがうちの学校ではあったのですけども、これがとてつもなく苦手で。
 やることはできるんで、話すネタを考えていったり、壇上に上がって何とかしゃべることはできていたのですが、それはあくまで型にはまったものを何とか遂行しようとするだけであって。
実際のところは脇の下、首、額にぶわりと変な汗は滲んで、手汗はひどくて握るしかなく、話すときは膝が震えてしまって自分がしっかり立っていることすらわからない、どこに目を向けていいかわからなくなるわ、なんとか自分がしゃべっているのはわかるけども頭の中は混乱しているわ、といった具合で、自分がどんな風にみられているのか、変なものを見る目で見られてないか、といった不安感が心の中をいっぱいに満たしていた、みたいな状態でしたね。

 それが小学生1年生のころにあったのですが、スピーチが回を追うごとに不安感が胸を満たして、また自分の番だ、やりたくない、こわい、いきたくない、と、結果的に家の玄関でうずくまるようになり、その後別室登校、という道を進むことになりました。
 小学生時代はそのまま6年生までずるずると、といった感じでしたね。運動会とか、学芸会(発表会的な)イベント等も参加はしようと努力していましたが出れたり出れなかったりでした。
周りに迷惑をかけてる自覚がさらにその場に行きづらい状況を生み出してしまっていて
あぁ、いらないなぁ、自分。と
親への申し訳なさ、同級生への申し訳なさ、その時まだ同じ学校に通っていた姉への申し訳なさからふとした時に涙したり、それこそリスカではないにしろ、抜毛とか、カーテンとかタオルで首を絞めてみたりとか、自傷行為はたびたび見受けられた時代でした。

ただ暗いことばかりではなく、友達とはたびたび遊んでいましたし、1年生のころから友達でいてくれた友人は最近になってもたびたび遊んだりしています。別室での出会いもありましたしね、いろんな理由から別室に来ている子たちもいたりして学年が違う友達とかもできたりしました。

 いい風に考えると、見る世界を広く持つっていうのはここですこし培われた気がしますね、友達は学年が違ったりするし、担任の先生以外にも顔を出してくれた先生方の話を聞いたり。クラス内で見える景色もあるだろうけども自分はここから見える景色が好きだなぁ、と高学年くらいの時には思えるようになっていました。相変わらず人の目は気にしていましたけども・・・

イベントには参加できなかったりとは言いましたが卒業式は何とか出席し、小学校を卒業しました。小学校のこと書くとめちゃ長くなるのでこれくらいで、苦しかったですけども楽しかったことも結構あった小学校生活でしたね。
腐るほど「かいけつゾロリ」を読んだり「子供の科学」で『スーパーカミオカンデ』の存在を知ったり、「ハリーポッター」を全巻読んだり、読書経験もここで積んでおいてよかったなぁ、と思います。
余談ですが勉強は進研ゼミでこなしていました、小学生までは内容知れてるので適当に勉強してました、まぁ普通くらいには勉強できたぐらいかと。

小学校を卒業したら次なる山、中学校が待っています。この記事のメインなのでここからのが簡潔です。

てがみのはなし


心機一転、がんばるぞ、と意気込んではいたものの、中学校に上がって2か月くらいでギブでしたね、今思うと焦りすぎたなぁと。
 小学校おんなじ学校だった子もいれば違う学校だった子もまざりあうのが中学という場で。そんな新しい環境でなんというか、いじられてたんですね。いじめまではいかないかもしれませんが結構不快で、精神的にあまりよろしくない状況でした。
目を閉じたら朝で、疲れが取れてないまま着替えて学校へ、いじられつつも一日をこなし、部活をこなして帰宅、宿題をして、寝て、疲れが取れず学校へ・・・・
これのループでけっこう体力的にも精神的にもきつくなった結果すこしずつ調子を崩すようになって、結果的に不登校、といった形になりました。
小学校の時よろしく、玄関でクソほど腹が痛くなって、もう駄目だこれ、いけないわ、といった具合ですね。

一年生の頃の先生が「とてもいい先生」で、学校に行けなくなった時、毎日発行物を届けてくれたり、調子を伺いに来てくれたりしてくれていました。
しかしこの時の自分は内心穏やかではなく、正直なところ「来ないでほしい」と思っていた部分もありました
顔を出さないと失礼だろうな、でも顔を出そうとすると空元気で疲れるし嫌だな、でも親に対応してもらって親に機嫌を損ねてもらっても困るな、
といった具合に頭の中でごちゃごちゃ考えごとをこねくり回しながら先生と話していたりしました。内心は(はやくかえってくれ~)でしたね。

 そんな日々を過ごしていたある日です、クラスのみんなからの手紙が届き始めたのは。毎日少しずつ、一定の人数、感覚で先生が学校のプリント等とともに持ってきてくれました。
先生も悪気はないのはわかってましたし、クラスのみんなも同じくそうであろうことはわかっていました。実際に学級という場に来ないことを心配してくれた子もいたのでしょう。しかしその手紙をもらって私が思ったことは一つで

「心苦しい」

その一言につきます。
現在こうして届けてもらっている手紙は、自分が学級の外にいる現実を具現化したものであって、それを突き付けに来たものだと。みんなと同じところには居られない自分がそこにあって、「今の僕はこれを受け取る側のかわいそうな人間なんだ」と思いました。
被害妄想も含まれてはいますが、実際そう思ったのは確かでした。善意であることが分かっていたので、それを「いらないもの」だとしてすぐ捨てる勇気もなく。今思うとそうする必要はなかったのですけども、「一通り目を通して」自分の部屋の学習机の一角にしまいました。

クラスの全員分届いた後、追って個別で来るわけでもないことから「企画」だったのかなぁと思うとそれもまた悲しいな、と、ただ誰かが思い立って、善意からみんなやろうぜと声を上げたのはいいことではあると思います。それを否定はしたくないですし。

話は戻って、いかんせん学習机にあるので引き出しを開けるたび目を引くんですね。中学生の頃はそれが呪いのような効力を発揮したように思えます。言い方は悪いですけど。見るたびに「うげげ」となっていましたね、みんなが授業を受けている時間にそれが目に入ると、なおさら学校に行けてない今の自分がみじめに思えて仕方なかったです。

手紙をちらちら視界に移す日々をすごしつつ、学年も上がり、2年生の終わりくらいから学習支援施設のほうに通うようになって少しずつ集団にも慣れるようになり、その場所で友達も作ることができ、3年生もおなじ施設に通い、中学時代を終えました。

いかんせん出席日数がなかったんでいい高校にはいくことはかなわなかったですけども、定時制の高校(昼間)に受かり、
そこで小中が嘘のように学校に行くようになり(根は真面目なのであまり休まなかった)(えらい)

大学受験か就職か、という話が出たときに、その学校ではある程度勉強をしていた方だったので、推薦をもらい大学に進学し現在に至るといった形です。
して、大学に入り年月がさらに立ち、日々を過ごしていた時、「手紙」のことを思い出し、手に取って目を通しました。
 中学の時の自分の心苦しさ、学校にいけない現実を突きつけてきた物質を前にほくそ笑むことができていた自分がいました。
その時に「しっかり過去になったんだな」と思っている自分がそこに

 やはり多少なりとも人の「書く努力」がこもっている手紙なので捨てること自体は躊躇したんですけども
「自分にはいらないなぁ」
と思えたので捨てることに
「人の善意」を捨てることで、少しだけ自分勝手に、自分本位で生きる自信が湧いたような、そんな気がしました。

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あんまり細かく書いても冗長になりますし(すでに冗長)ここまでで。
不登校を経て、その中でもらったものをやっとすてることができたよ~わ~いという話でした。
稚拙な文章で申し訳ないですけども、お暇な時間の足しにでもなったならいいかなぁ程度に。

今不登校の子とか親御さんがこの記事を見てるかもしれないんで
現在は大事ですけども、未来でわりかし生きてますよ、焦らないで大丈夫です。っていう一言を添えておきます。
自分の親についてはあまり書いてないですがその点はまぁまた機会がありましたら。

APEXの記事見てる人こんな記事みんやろなぁ・・・・




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