家は、生態は変化する。環境を育てていく。
シェアハウス3階の、すごくやわらかな風が吹いている友だちの一室で、
ちゃぶ台をはさんでレモンティーをのみながら、
対話をして、お話を聞いてもらいながら絵を描いてもらったあの日。
自分の家に帰って、部屋に入ったとき、
「そうだベッドを解体しよう」
と思った。
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あの肩の力がすーーっと抜けて、
外からやわらかい風が入ってきて、
ずっと窓の外を眺めていられる、
呼吸がしやすくて、
心臓と自然にひとつになっている空間は、
どうやったら再現できるだろう
って。
思えば、
友達の家に行ったのは、1年ぶりかもしれない。まして、上京してからお部屋にあがれる関係の友だちなんて、片手で数えるくらいしか、いない。
「良いお部屋だね。本当にすてきな、空間だね。」
って、
何度も言っていたと思う。
それくらい、ほんとうに自然に呼吸ができていたんだ。
静かで。
耳の奥がひらかれていて。風の音がすんなり入って。
座っているだけで、
ああ、絵を、描きたいな。音楽を、
つくりたいな。って、思えるような、
風のとおっている開放を味わった。
やっぱり、わたしのお家はまだわたしを窮屈にしてしまっていた。
気づけばスマホに熱中してしまうのも、
カーテンを閉じるとなんだか、息がしづらいのも、空気がどよんとしてきてしまうのも、
部屋の灯りが目に痛いか暗いしか選択がないのも、
娯楽が目に入るものしか、選択肢がなくて、その選択肢を前に、身動きがとれなくなって
「今日は寝てしまって、明日朝を良い時間にしよう」って、早く寝るように強制されてしまうのも。
なにか窮屈にしている。
なんでかわたしはこの家で、動けなくなる。
だから、ベッドを解体した。
布団だと、部屋がここまでになるんだなって初めて知った。
タイル式の絨毯もとっぱらった。
ここからここまで寝る場所、ご飯食べる場所って境界線をなくした。
いま、〇〇したい。
その気持ちは、すごく、すごくシンプルで。
その「選択肢」が、選択できる空間は、
きっとシンプルな空間なんだ。
「次の『ただ一つ』を、求められる家」
「シンプルな、選択の家」
それだけを思って、部屋の場所を、選択した。
まだわたしの窮屈はぬぐえていないけど、
それでも、
すこしだけわたしの声が聞こえた気がする。
わたしの家と、心の声に、ひとつずつ、ひとつずつ。向き合っていきたい。
シンプルな家になっていく。次の選択にワクワクする、そんな家に生態が変わっていくことを祈って。
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