ロックだとか

人生において割と音楽を聴いている時間が大半を占めているけど、俗に言う「音楽理論」っていうのをまったく知らない。
友人には何人か理論に明るい人がいて、そんな話を聞くと無知なのがなんだか恥ずかしくなったりならなかったりする。
中学生の頃に大ファンだったUNISON SUQUARE GARDENの詞曲を担当している田淵は、よくインタビューで「シンプルにロックを楽しんでほしい(雑な要約)」というような話をしていた気がして、それにはきっと音楽産業の未来やファンの応援におけるスタンス、ライブに来てほしいだとか色々な意味が込められていたんだろうけど、今の自分の「ただロックを聴く、感じる」「ライブに行く」みたいな音楽への向き合い方は、当時近所の図書館に置かれていたロッキング・オン・ジャパンを(ユニゾンの記事を始めとして)貪るように読んでいたことで醸成されたものなのかもしれない。

Wikipediaの記事を読み書きするのが趣味だったり、何かのテーマについてマクロな視点で流れを学ぶような本が好きだったり(『〇〇の文化史』とか『〇〇史』って本は大体好きです、またそのテーマがニッチであればあるほど)するあたり、自分はきっかけさえあれば音楽理論も好きそうかもなって感じもする。体系立てて全様を掴めそう。流行りのコード進行とか、知ってたら聴き方の幅が広がりそうな気がするし。

でもやっぱりそこに踏み込めないのは、まあ一番は僕の怠惰さだとして、やっぱり音楽の衝動性・魔法性みたいなものを過度に信奉しているのもあるかもしれない。
かつてYogee New Wavesの角館が「音楽は魔法だよ」って言って炎上したことがあったけど(本当はもうちょい入り組んだ話なので知らない人はぜひ調べてください)、自分も音楽は魔法だと思っているし、魔法であってほしいと思っている。
理論が入り込むことで、絶対的ではないとしてもある程度客観的な尺度として音楽に優劣がつけられてしまうことはどこか寂しい。
そのジャッジが下されることは必然と認めつつも、自分が下したくはないしその判断に屈服した上で音楽を聴きたくないと言う方が正確だろうか。
まあでも例えば絵画をとっても理論や手法はかなり体系化されているわけで、それでもあれだけ多様であり続けているってことは理論によってそれ自体の魅力が下がることはないんだろう。

というよりはそもそも自分の性格上、芸術とかについてはあんまり裏側とか知りたくないのかもしれない。
それなりに漫才とか好きだけど、ネタを分析して考察するみたいなコンテンツには興味ないし。
それにシンプルに考えても、やっぱ水中で脚をバタバタしつつ気丈に見せる白鳥ってかっこいいからなあ。

なんかここまでつらつらと書いてきたけど落としどころがよくわかんないな。無知なことの言い訳でしかなかった。
勝手に「音楽理論を知らないのに音楽聴いてます面してるのはダサいで」って思われているのではっていう被害妄想を抱いていて、「その長所も理解できるけど感覚だけで聴くのも十分楽しいからええやん」って思ってるよってことでした。

人生ゲームって大発明だよな、と思った。
まず名前が最高。人生はゲームなんかじゃないし、人生はゲームでしかないから。
時代の流れに合わせて定期的に変わっているのも良い。新作はインフルエンサーとしてフォロワー数を競うらしい。
結婚して子どもが増えたら、穴の開いた車にプラスチックの棒を刺していく。
羨ましい、人生のすべては規定されていてほしいし、軽薄であってほしい。嘘だけど。

シャワーをマイクに見立てて歌うの、思春期あるあるなのかな。
志磨遼平になりたいと願って浴室でもがいていた頃から少し大人になったけど、今はまだうだつの上がらない浪人生です。悲しいね。

あんたなんか   キライ

短歌4首


音楽や人生を楽しむきみは理論を分かってなくて、眩しい

人生はゲームじゃないよ?ってマジレス/車に子供を強く差し込む

Rewashed・シャワーがマイクだった頃 僕が泣きながら歌ったことは……

約束だ、死ぬなよ。神格化された愛を玉座から蹴落とすまでは

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