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[小説]ある統合失調者の記憶 7話 国際空港

今回は9000字くらいです。前回は、世界恐慌が起きるという妄想を受け入れてしまったところで終わりました。今回は、この世界がシミュレーション世界であり、金融市場をバグ技でコントロールするアメリカ政府に対して自己防衛を始めます。


 アメリカ国家安全保障局、通称NSAと呼ばれるこの組織は、アメリカ合衆国メリーランド州フォート・ミードに本部が置かれている。フォート・ミードは、メリーランド州の州都ボルチモアから南西に29km先にあるアメリカのサイバー軍基地を中心としたエリアである。さらにNSAは、フォート・ミードの西側一体のすべてを占領するように鎮座し、NSAの建物は、黒を基調とした長方形の建物で訪れた者に威圧感を与えている。NSAを中心に配置されている巨大な駐車場は、そこで働く情報局員の数の多さと警備の厳重さを象徴している。NSA内で職員用に販売しているダンキンドーナツのような甘いものではない。機密を扱う省庁の例に従い、NSAも厳重なセキュリティが敷かれていて、職員の家族さえも訪ねるのが難しい。なぜなら、この組織はインターネット上のあらゆる情報を監視できるからだ。
 監視プログラムの名前をPRISMと言った。2013年、当時NSAの職員であったエドワード・スノーデンの内部告発で、この監視プログラムの存在が明らかになったのだ。アメリカの主要なインターネットサービス業者Microsoft、Yahoo!、Google、Meta、Apple、そして参加が公表されていないがNSA元長官が取締役であるAmazonの5社全てが関与していると考えていいだろう。つまり、NSAは、巨大IT企業群のほぼすべての全情報を知り得るということだ。NSAが情報を収集する方法は、ビッグ・テック5社からセキュリティ上の抜け穴であるバックドアの提供を受けて、全ユーザーのメタデータにアクセスができるというものだ。さらに、PRISMの監視対象は、アメリカ国内の通信会社、クレジットカード会社、金融機関と幅広い情報にもアクセスができるとされている。
 つまり、あなたが新たに電話番号や、メールを作ったとき、あなたがどの国の誰なのかということは一瞬で情報を収集される。なぜなら、アメリカ国民ではない人間に対する盗聴は、テロの抑止というお題目の前で米国自由法の名の下に合法とされているからだ。そのため、これらの情報は、外国人に対しては令状なしに収集される。もちろん、その対象は日本であっても逃れられない。スノーデンが告発した内容には、日本、ブラジル、フランス、ドイツなどの35カ国の首脳を盗聴したことも明らかとされている。そのため、PRISMの監視を逃れるためにテロリストは、ビッグ・テックを経由せずに情報をやり取りしている。近年、テロリストが情報交換していた手法として、ビッグ・テックの影響がないゲーム会社のオンラインゲームに搭載されているボイスチャット機能を使っての通信や、単一のメールアドレスを使い回し下書き欄に記載しての連絡交換、画像データに文字情報を埋め込むといった抜け道が模索されている。もっとも、その抜け道も中華人民共和国が行った大規模ゲーム会社規制などの方法で制限がされてきているが。
 確かに、高度情報化社会が進み社会は便利になった。しかし、個人のデータをインターネットに何から何まで譲り渡すことは、本当に私達の生活を脅かさないのだろうか。私達の安全は保証されているのだろうか。もし、あなたが、偶然に世界規模の秘密を手に入れてしまったのなら…。

 私は、この世界がシミュレーション世界であり、特定のタイミングで特定の金額を動かすことで金融市場を自由に操作できるバグがあるという妄想に取り憑かれた。ところで、物価が上がることをインフレーション、反対に下がることをデフレーション、景気後退しているがインフレが起きていることをスタグフレーションというが、私が取り憑かれた世界恐慌への道筋をもう一度整理した。
 アメリカ国債は、2020年に過去例を見せないほどに下落した。そして、2021年にアメリカ連邦準備制度理事会ことFRBは国債金利上昇の圧力に晒されている。その理由は、アメリカドルを大量に刷ってコロナ関係の資金に使ってしまったからだ。経済学の基本的な考え方だが、アメリカ国内には大量の紙幣が出回ることでインフレーションが起き始めている。しかし、アメリカは労働者階級と資本家の報酬格差が大きすぎる。労働者が受け取るべき報酬は株の配当金以下の価値しかない。一部の資本家がお金を使っても経済効果は限定的だ。経済が上向くには、アメリカ国民のほとんどがお金を使わなくちゃいけない。アメリカ人は伝統的に借金をしてでもお金を使うことに熱心な国民だ。しかし、リーマンショック、コロナ禍を経てその傾向は変わりつつある。私は、アメリカがスタグフレーションの入り口に立っていると感じた。そして、アメリカは国債を将来に渡り弁済するだけの資金はもうないと思い至った。アメリカは1980年代スタグフレーション解消のために世界一の保有量と言われる金塊をほとんど使った高金利政策をすでにやってしまっているからだ。アメリカがフォートノックスに保管されているとされる大量の金塊は、巷で噂されている通り鉛に金箔を貼った偽物にちがいない。
 アメリカは、国債金利を上昇させるしかないが、10年後にはインフレを抑え込みつつ国債を償還が出来なくなる。アメリカドルは紙屑になるか、激しいインフレーションが発生する。いずれにしても、アメリカの威信は失墜し、世界的影響力は失われる。アメリカも金融市場を操るバグ技を知ったのは2021年1月のアメリカ国債下落に伴うFRBの為替介入あたりだろう。そうでなければ、アメリカは過去の経済政策の失敗もなかっただろうから。もし、アメリカがバグ技を使って金融市場を操作できるようになったのなら、取りうるべき方途は一つしかない。世界大戦にならないギリギリのラインで巨大な地域紛争を起こし、敵対国のアメリカ国債償還を無効にした上で、軍需景気で利益を上げるのだ。そのための前提として、為替を操作して引き上げられるだけドルの価値を引き上げてから、頃合いを見計らって一気に下落させる。そして、ドル相場の急速な下落は急速な信用収縮を起こして、為替と株価の全面安となり、世界恐慌を起こす。世界恐慌が起きてしまえば、アメリカの金融政策の致命的な失敗を隠蔽でき、敵対国のアメリカ国債の価値を無価値にした上で、軍需景気によってV字回復ができる。まさに濡れ手に泡だ。だけど、これは世界戦争を引き起こしかねない命懸けの綱渡りで、バグ技を知らなければ到底実行できない。
 この結論は、私一人が抱えられるほど小さいものではなかった。かといって、自分一人が行動したところでなんとかなるという類のものでもなかった。もし、世界恐慌が本当に起きた場合を考えて、二人の人物に警告のメールを送ることにした。妄想が実現する可能性は極めて低い、だから送るだけ無駄だ。まだ、冷静な私の心の一部が囁く。それを振り切ったのは自身の虚栄心だった。一番に世界恐慌が起きると予測した人間という言葉に私は目が眩んだ。そして、自分の虚栄心を慰めるようにMacBook airの電源を触った。一瞬、モニターが黒く反転し、虚栄心に満ち、唇の片方の端を皮肉に持ち上げた顔が見えた。

 私は、ホームページのメッセージ送信機能のあるサイトに限定して、著名な経済学者とサイバーセキュリティの専門家に世界恐慌が起きるという内容のメッセージを送信した。経済学者に送った理由は、世界恐慌が起きたときに日本国内でどれくらいのスピードでインフレーションが起きるか計算してもらうことを期待してだった。インフレといえども1年間で何百倍も物価が上昇するとは思えない。インフレーションが何年続くか、その上昇割合がどれほどかが多くの人に伝われば対策も練ることができる。
 そして、サイバーセキュリティの専門家に送信した理由は、こう考えたからだ。金融市場を操作するバグ技が実現可能であった場合、金融商品を自動売買できるアプリケーションを安価で提供する必要がある。多くの人が金融商品の売却益で利益を上げれば、インフレーションに対するつなぎ資金を得ることができ、民衆の資産運用益を生活費に回せばそれだけ経済は回転し上向きとなる。しかし、アプリケーションは、セキュリティが厳重でなければならない。そうでなければ、多くの人が安全に使えない。
 ビッグ・テックが提供しているメールを使えば、通信内容をチェックされNASに通報されるだろう。そして、私の妄想が事実であった場合は最悪だ。アメリカに一度でも要注意人物としてマークされれば、すべての通信は傍受されることになる。私は、送信時の連絡先として使ったYahoo!メールはもちろんのこと、InstagramやmixiといったSNSアカウント、 Yahoo!メールを使ってインターネットで取引したすべての事績を削除した。しかし、Facebookを削除しようとした時手が止まった。息子が生まれた時の写真がアップロードされていたからだ。私は、寝室で富士山型の口をして寝息を立てる息子の顔を思った。そして、一つ一つの写真を見て、その時の気持ちを思い返した。息子が生まれてきたその瞬間、泣き声をあげなかった。死産かもしれないと恐怖した。そして、しばらくしてから産声が聞こえた。私は泣いた。2歳になった時、激しい痙攣を起こして息子は入院した。高熱を出し泡をふいて虚な表情の息子の顔を前に、自分の命を捧げてでも助けたいと神様に願った。そんな記憶の一つ一つを思い返して記事の削除を続けていった。
 次に、iPhoneのiCloudに保管されているメタデータを削除し、捨てアカウントとして持っていたGoogleアカウントの一つを削除した。これらのビック・テックがサーバー上に保管しているデータは、3ヶ月後に完全に削除される。さすがに、NSAといえども世界中のサーバーに保管された全てのデータを保存させることはできないはずだ。なぜなら、データサーバーを運用するには莫大な電力と地震が起きない安定した地盤、そして維持費がかかるからだ。データサーバーは複雑な計算式を一瞬で計算することができるが発熱する。そのためデータサーバーは冷却する装置とセットで運用しなければならない。Google社のデータサーバーは世界各地に20以上あり、千葉県印西市に新たに建築予定のデータサーバーは東京ドーム7個分と報道されている。そのため、世界中のデータを保管するデータサーバーをアメリカ合衆国のサイバー軍は持っておらず、危険人物のデータをその都度、ビック・テックから提供を受けているはずだ。NASは、アメリカの脅威とならない人間のデータは削除され、危険人物にはタグ付けして分類している程度だろう。もしかしたら、シンギュラリティが起きて人間の知能を超えたAIで将来に犯罪を犯す可能性のある犯罪者予備軍を抽出している可能性も否定はできないが、現時点でそこまで性能が高いAIは登場していないはずだ。ともかく、3ヶ月後にビック・テックから私のデータが削除されてしまえば、NASの検閲から逃れられると考えた。まずは、3ヶ月の間、検閲に引っかからないように世界恐慌に備えて資金運用をすることにしよう、私はそう思った。

 ビック・テックが提供するメールが使えないと色々と困ったことになる。家族とのやり取りはLineを使えば良い。Lineの情報は韓国政府に流れているという噂だが、私が家族や友人とやり取りする情報には何ら価値はない。近況を伝え合う情報や、家族の個人的な話し合いが、検閲されてマークされる対象になっているとは思えないからだ。携帯電話会社提供のメールとビック・テック提供のメールは連携していないから、携帯電話会社提供のメールはNASの検閲対象にはなっていないだろう。もっとも、会社や友人との連絡しか使ったことはないけど。そうは言っても、ビック・テック提供のメールが使えないと、名前を伏せてメールをすることも連絡することもできないから厄介だ。それに、iPhoneだと音声データを傍受される可能性がある。そこで、飛ばし携帯電話と信用性の高い捨てメールを取得することを考えた。
 信用性の高いメールとは身元確認をしてから作成されるメールだ。最近のビック・テックも携帯電話を通して身元確認をしている。つまり、信用性の高いメールとは、電話番号に紐付きとなっているメールにほかならない。そうなると、飛ばし携帯電話をどうにかして手に入れる必要があるが、私にはアテがあった。SMSを使うことはできないが外国人向けに提供されているIP電話を使う方法だ。

 私は国際空港にいた。2021年6月の国際空港は、コロナ禍の煽りを受けて閑散としていた。飛行機の運行は止まっていた。飛行機の発着を告げるメッセージボードは電気も灯っていない。普段であれば、他国からの外国人ビジネスパーソン、空港内の売店目当ての観光客、日本人旅行者の群で溢れているところだが、今は誰もいない。歩いているのは文字通り私だけ。カツカツと忙しなく歩く自分の足跡だけが聞こえる。店はどれも閉店のためにシャッターが降りていた。すぐに目的物にたどり着く。IP電話用のsimカードを売っている自動販売機だ。万が一を考え、防犯カメラの位置を確認する。あまりキョロキョロすると防犯カメラの記録に残ってしまう。昔のVHS製防犯カメラであれば、半年程度のデータを保管しているが、今の防犯カメラは電子データとして映像記録を保存している。保存期間は運用会社によって違う。だから、注意が必要だ。閑散した国際空港にいるだけでも不審に思われるのに、なるべく目立たないように顔を隠さなければならない。Suicaなどの電子マネーは、使用履歴を照会される可能性を考えて使用しない。使うのは絶対に現金だ。現金を出すところといえば真っ先に思いつくものはATMだ。ATMはカードの操作している状況をすべて監視している。そして、投入したカードは印刷機で撮影されデータとして記録されている。だけど、多額の現金でなければ、誰にも気にされることはない。それでも、念のため空港内のATMは避ける。自動販売機に現金を入れて、simカードを買う。そして、手早くカバンの中にしまい込んで国際空港から立ち去る。
 次に向かうのは、Wi-Fiが使えるホテルだ。国際空港の近くには必ずホテルが密集している。某ホテルは、Wi-Fiの暗証番号がいつも同じなので、宿泊しなくともWi-Fiを利用することができる。フリーWi-Fiは第三者に傍受される恐れがあるから、暗証番号を設定しているホテルのWi-Fiを利用するのが一番安全だ。豪華なシャンデリアがあるホールを抜けると、フロントの手前には喫茶スペースがある。フロントには見向きもせずに、Wi-Fiが届く喫茶スペースを探す。ウェイターにそこで普段飲むことのないような高価なコーヒーを注文する。コロナ禍なので客足はまばらだ。国際空港で買ったsimカードを取り出し、台湾製のタブレットのsimカード用ソケットを開ける。simカードはとても小さいので、入れるときは注意が必要、慎重に差し込んでいく。Wi-Fiを繋げてIP電話用のアプリをダウンロードする。androidであれば一部のアプリはGoogleストアを経由しなくてもダウンロードできるからだ。そして、IP電話の電話番号を取得する。準備は順調だ。そうしているうちに、注文したコロンビア産のコーヒーをウェイターが運んでくる。軽く黙礼をしてコーヒーを啜る。ホテルの喫茶で出されるミルクは、ミルクピッチャーで出されるから好きだ。スジャータは甘すぎる。コーヒーの豊かな香りを嗅ぐ。この匂いを言葉で表現するには自分の文章力は足りない。穏やかな匂いで心が落ち着いてくる。
 コーヒーの味を堪能し、次の準備に取り掛かる。android用のタブレットは、Gmailの登録が必要で電話番号が認証として義務付けられている。IP電話はSMSを使うことができないから、gmailを登録することができない。そこで、プロパイダーメールを利用することにした。gmail登録がされていなくてもタブレットの利用はできる。使うのはandroidに標準搭載しているウェブブラウザだ。そして、過去に使っていたプロパイダーメールの登録名を変更する。プロパイダーメールによっては、登録者の名前を変更できるものがある。私は偽名を使うことにした。高校生の時に好きだった作家、中島敦から名前をいただくことにする。もっとも、まったく同じだと人の記憶に残りやすいから、偽名だとバレてしまう。そこで、インターネットで検索しても名前が出てこないものを選ぶ。偽名を使うときに注意しなければならないことは、呼びかけられた時に即座に反応できるようになることだ。そのためにはイメージトレーニングをしなければならない。注意すべきは書類の送付先だ。プロパイダーは、身分確認のために書類の受け取りを求めていることがほとんどだ。そこで、架空の住所を登録して書類を郵便局に転送させる。私は、タブレットから郵便局のアプリをダウンロードし転送届を申し込む。ほどなく、アプリに登録したIP電話宛に郵便局から電話がかかってくる。そこで、転送先の住所を伝える。書類さえ受け取ってしまえば、転送先をもう一度変更することを忘れないようにしなくちゃいけない。小さなミスで私の存在を知られるわけにはいかない。二度目の転送先にする住所のアテはある。町を歩いていると表札に、異常にたくさんの会社名が書かれた郵便受けを見かけたことがある人も多いだろう。できれば、寂れた雑居ビルの集合郵便受けがよい。寂れた雑居ビルの集合郵便受けにたくさんの会社名が書かれている場合のほとんどは、いかがわしいコンサルタントや反社会的集団が脱税用などの用途で利用しているのがほとんどだ。もう送られる予定のない書類の送付先に利用させてもらおう。これで、私は、誰にも知られることのない電話、メールアドレスを手に入れた。この準備に30分もかからない。私は、タブレットの電源を切る。IP電話を使う場所は、傍受を避けるためによく考えなければいけない。これからも安全なWi-Fiが使える場所をもっと確認する必要がある。コーヒーはまだカップに残っていたが、まだ暖かい。私は、残りのコーヒーを一気に飲み込んだ。

 私は、何事もなかったように家に戻りPCを起動した。Torブラウザをダウンロードし、検索エンジンをDuckDuckGoにした。インターネット検索履歴は、ブラウザによって閲覧履歴が記録されている。それは、閲覧履歴からAIがパーソナリティを分析して、閲覧者が求めていると思われる広告を優先的に表示させるためだ。しかし、閲覧履歴を残さないブラウザもある。DuckDuckGo、ダックダックゴーというふざけた名前だが、インターネット検索エンジンとしては優秀だ。IPアドレスを保存しないプライバシーの保護を目的としているからだ。IPアドレスとはスマートフォンなどの電子機器がインターネット通信をするときの住所を意味する。IPアドレスがわかれば、そこを狙い撃ちにして攻撃することもできる。
 ところで、私の自宅にはホームサーバーが設置されているが、暗号資産の分析を始めた2021年5月、敵対者からのサイバー攻撃を受けた。攻撃の方法はブルートフォースアタック。ブルートフォースアタックとは総当たり攻撃と呼ばれるサイバー攻撃の一つだ。何者かはわからなかったが、私のホームサーバーのIPアドレスを割り出し、セキュリティを破ろうと、1分起きに認証画面にアクセスを始めた。私のホームサーバーは第三者から攻撃を受けると、スマートフォンにメールで通知するよう設定してあった。IPアドレスはどこから漏洩したのだろう?頻繁にくるエラー通知に動揺しながらも、ホームサーバーの利用を制限する。目的は、ホームサーバーを乗っ取って、北朝鮮が暗号通貨モネロをマイニングに利用したように何かのプログラムを起動させるための踏み台にするか、サーバー自体をロックし中にある家族写真のファイルデータを人質にして身代金を要求するためだっただろう。思い返してみると5月は暗号通貨のプログラム作成のために自宅以外からサーバーにアクセスしていた。もしかしたら、そこから漏洩したのかもしれない。プライバシーを確保するために通信線をVPN接続していたけど、それでも油断できないのか。そんな直前の記憶を思い出しながら、自宅PCのセキュリティに穴がないか再度確認する。念のため、通信ポートを全て遮断し、外部からのアクセスをできないようにした。そして、ホームサーバーをバックアップする2台目のサーバーを設置する。これで、1台目のホームサーバーがサイバー攻撃で破壊されても、2台目のサーバーが暗号通貨自動売買のプログラムを保護してくれる。
 これにWebブラウザをTorブラウザに変更すれば完璧だ。Torブラウザとは、匿名性を確保しながらWebサイトを閲覧するブラウザだ。スノーデンの告発文書でPRISMであってもTorブラウザを検閲できなかったという記載があり、情報の匿名性を求める人たちが利用を始めた。元々は、アメリカ軍が情報の秘匿を高めるために開発されたと聞くが、高い匿名性のためにテロリストたちが使うようになったのは皮肉なことだ。TorがあればダークWebにアクセスができる。ここに機密情報が眠っているとは思えないが、過去の流出事件で漏れ出したジャンクデータくらいなら入手することができるだろう。

 私は、PCの操作を終え、ゆっくりと電源をオフにした。そして、居間にあるソファに横たわった。時計は夜中の2時をさしていた。布団で横になっても喘息が止まらない。夜になると喘息の発作が激しくなり、眠ろうとすると発作が起きる。外からは、時差式信号機の直前に急ブレーキをかける車の音が聞こえてくる。医者にも原因不明と匙を投げられていた。度重なるステロイド剤の服用で感情が激しく揺さぶられ、涙が溢れてくる。家族のために死亡保険金額の増額をした。もう自分に残された時間は乏しいと覚悟を決めていた。世界恐慌が起きる時間まで誰にも邪魔されずに可能な限り儲けなければならない。激しく乱高下する暗号資産から自動売買プログラムを使って利益を出すしかないと思い詰めていた。
(つづく)

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