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私のバイリンガル(結果的にトリリンガル)育児あれこれ:小学生中学年の頃(その9)社会科の勉強

娘が小学4年生になってから、補習校でも社会科の教科書をもらって来たので、私がその教科書を使って娘に社会科の勉強を教えていた。(補習校でも社会科の教科書を使って授業をしていた様だが、娘によると単元の1、2ページをチラッと読むだけ、絵や写真を見て感想を話し合ったり、とかなりあっさりとした内容の様だったので、私が自分で教えようと決意。)

先ずその頃、ガリガリで足の筋肉が特になかった息子は週に2回テコンドー、週に1回はサッカーのクラスに通っていたので、まず息子をテコンドーのクラスに送り届けたらその隣にあるスーパーマーケットの片隅のDine-inコーナー(スーパーで買った商品を食べたり出来るテーブルがある)で娘に社会の教科書を音読させ、私がいちいち詳細を説明して教えていた。例えば補習校では上水道と下水道について、その違いなどまではしっかり教えていなかった様なので(汚い水がどの様にきれいになるのか、ビデオを見る程度の様であった。)私が教科書の絵に沿って、水の循環を教え、違いを明確に補足説明をしていく、という感じだ。地理に関しても補習校では大まかにしか扱わないので、私は全てのページを一緒に読み、都道府県の場所を確認し、教科書に出ている語彙も覚えさせ、そしてそれを日常でも私も使う様にした。因みにサッカーの練習の時は周りは何にもない所だったので、娘と二人で1時間散歩をし、色々とおしゃべりをしていた。ここでも必ず日本語で話をする。娘にアメリカの学校でどんな勉強をしているのか、日本語で説明をさせたり、友達について話を聞いたり、私の子供の頃の話などをしたり、とにかくおしゃべりの時間にしていた。

そして夏に日本に里帰りをしたら、「家族の社会見学」と称し、上水道工場見学(市民だよりなどを入念にチェックし、市民向けの見学イベントがあれば必ず申し込んでいた。)や、その他の見学(ヤクルト工場見学、コカ・コーラ工場見学、新聞社見学、パン屋見学、伝統工芸見学、私の母校の大学見学、造幣局見学など、もう全部覚えていない。)、とにかく実家から日帰りで遠い所は父親に運転を頼んで、母と6人で毎週末の様に出かけた。

私の両親は私が子供の頃は週末は寝てるか、家でゴロゴロしてたので、私自身はいつも家で適当に過ごしたり、コンビニでおやつ買ったり、吉本新喜劇とかのテレビをダラダラ見て過ごす子供時代を送っていたから、私の両親は私が必死で子供を連れて出かけるのを見て「そう言えば、OOさんのおうちも教育熱心でいっつも色んな所に出かけていたけど、お前もそういうタイプの親なのかもね。でも入れ込み過ぎたらアカンの違う?」とか言ったりもした。しかし私にしては全然入れ込んでなかった。と言うか、教育に興味のない母にしたら「わ~やり過ぎ!」って思うかも知れないけど、教育に興味のある私にしたら何にもしないでじっと家で貴重な日本での週末を何もせずに過ごすっていう方がしんどかったのだ。(そして母がちょっと非難気味に話していたOOさんの子供(=私の同級生)は結果医者になっている。)私はやっぱりどっちかと言うとOOさんの親の子みたいに育てて欲しかったんだけど、でも自分の親は選べないしそれは仕方ないしいいけど、せめて自分の子供は後悔なく自分の全力で育てたい、って思ったから、本当に色々と連れて行ったと思う。

今になって子供に聞くと色んなことを今でも覚えている。例えば「新聞社工場に行った時、すごいスピードで新聞が刷られててびっくりした。そしてその新聞は本当は印刷したり家まで運んだりしてるからもっとお金がかかるんだけど、あんなに安く売れる理由は広告を一杯載せてるからってわかったのも良かった。」とか「OO工場で働くおばさんたちを見たら本当に大変そうだった。慣れるまで時間がかかると思うけど、もしあの工場がなくなったらせっかく慣れてもまた一から始めなきゃだめじゃない?」とか、やっぱ連れて行くと実際に思う事があり、それは忘れないんだな、って思う。

教養と知識の積み重ね、ってその様に地道にやって行くしかないんじゃないかな、って私は思う。今では勿論ネットや動画で同じ様な工場見学を見ることも出来ると思うけど、やっぱ記憶に残りにくいんじゃないの?って思ったり。

とにかく日本に里帰りして過ごす約7週間の夏は1日たりともぼや~と過ごすことのない様、数か月前から予定を立て、予約を入れ、と準備をしていた。やはりそれが結果的に語学だけではなく、文化的にもバイリンガルの子供に育てることが出来た理由だと思う。