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バイリンガル育児―――同じ様に育てても姉弟でも全然違うのが当たり前

これは、バイリンガル育児に関わらず、の話だと思いますが。また、お子さんを複数お持ちの方はきっとほぼ同じ感想を持たれる、とも思いますが。

当たり前ですけど、同じメソッド(育児全般の)で、(ほぼ)同じ環境で、同じ熱量(親の努力)で育てても、兄弟が全然違う結果を出しますよね。

バイリンガル育児に関わらず、と書いたのは、それ以外の事(ピアノや水泳の習い事や読書習慣などについても)を同じ様に子供に学ぶ機会を与えても、子供によっては出てくる結果に大きな違いがあるから。

読書が好きな子に本を与えたら正に水を得た魚の様になるけど、その逆だと豚に真珠状態。運動に興味ない子に可愛いチュチュを着せてもバレエの舞台では全然張り切らない(因みにこれ、私の娘でした💦)けど、運動が好きな子は泣いて親にバレエをさせて欲しいと頼む(娘の友達でした)。

そして好き嫌いだけではなく、正直に書くと才能(適性、センス、とも言い換えられる)のあるなし、によっても結果が違いますよね。

学校の先生の話を聞くだけで全部理解出来る子もいれば、家で親が何度も教えても、何時間かけてもわからない、もしくはすぐ忘れてしまう子もいる。ピアノを何時間練習しても上手く弾けない子もいるけど、楽譜を見なくても自由に音を奏でる事が出来る子もいる。

なので、バイリンガル育児も同じ様に、同じ親の子供でも一人一人違う結果が出てくるんだと思います。

私の娘は地頭が良く、色んなことを記憶することも簡単に出来るし、それによって、莫大なインプットをしても上手く処理が出来る子の様でした。なので、バイリンガル育児も「教えれば教えるほど」「機会を与えれば与えるほど」全てを自分の糧にすることが出来た様です。なので、中学生の頃には完璧なバイリンガルになり、まだまだインプットの容量があったみたいで、高校生の時は独学でロシア語の勉強もし始めて、結果トリリンガルになりました。高校生の時、高校のロシア語の先生(ロシア人)が「この高校で20年間教えて来たけど、OO(私の娘)が一番優秀だと思う。この子は何か持っている。」と言って、国費留学試験を受験する様にと言ってくれて、言われるまま受験し、合格し、という事もあったのですが、それはやはり本人の適性、才能に早く周りが気が付いて、適切な対応が取れたケースだと思っています。

で、同じ様に次の子(息子)も育てよう、と私は意気揚々と2人目のバイリンガル育児を始めるのですが、やって行くうちに「ん?何か進捗が、明らかに娘の時と違って遅いぞ。」と感じる様になります。小学3年位になると本人の能力も親も客観的に見ざるを得ない状況になって来て「そうか、この子は普通の子だな、という事はあまり詰め込んでも無理だな。。。」と感じる様に。

それでもバイリンガルは諦めたくなかったので、量やレベルを減らして、息子に合うレベル内容、合う量を準備し、教えて来ました。息子もバイリンガルになりましたし、普段の生活では問題はありませんが、元々普通の子なので、普段話す内容も普通の、感心するような話も特になく、まぁ、そんな内容だから問題なく日本語で出来る、という感じです。

書いてて思いましたが、やはり私自身、子供のレベルに合わせて教える内容を微調整してきたんだと思います。この辺りの繊細な部分はやはり一番近くで教える親が一番わかるはずだと思います。なので、この子供のレベルを見極める作業は(時には現実視せねばいけない事も出て来て)辛い時もありますが、客観的に行うことが出来れば出来る程、その子に本当に合う教育を与えることが出来るんだろうな、って思っています。

でも、親自身がこの事に気が付かなければ―――もし誰かの育児マニュアルだけを鵜吞みにして粛々と行っているだけでは―――時間だけが勿体なく流れていくんだと思います。なので、親もある意味、いつも冷静に子供の成長を確認していく作業が必要なんだと思います。