バレなければ浮気をしても良い? 3

浮気のボーダーラインについて。

浮気はバレなきゃいい。そう思ってる人は少なくないと思う。

浮気は一時の気の迷い、日常生活にちょっとした刺激や変化を求めた結果の行為だ、という人がいる。

しかしながら、浮気は一時的な快楽でしかなく、根本的な解決にはならない。パートナーとの日常生活に自ら刺激を作り出したり、良い変化を起こすことができない人は、刹那的な危ない刺激を求めるしかないからだ。
そういう人は、パートナーがかわったとしても、例えば浮気相手がパートナーが変化することがあったとしても変わることはなく、外に刺激を求め浮気を続けることになる。そしてパートナーにバレてしまい、また振り出しに戻る。


浮気に刺激を求めることなく、日常生活に自ら良い刺激を与え、飽きのこない生活とすることこそが重要なことなのである。

日常生活にちょっとした刺激を求めた結果、大きな代償を払うこととなった私。当時は、浮気の境界線すらぼやけて見えていた。


ところで、浮気とは何を指すのか。

正直なところ、これについては、人によって考え方が異なってくると思っている。

しかしながら、次の2つのことは多くの人がが共通して「浮気」であると認定できることだと思う。

まず一つは、主観的な基準である。浮気をする側が、パートナーに言いにくいと思うようなことは、浮気と言えるだろう。
例えば、異性と2人になる時間があったとする。食事、車中、出張、どのような場面でも良い。これについて、パートナーに対して包み隠すことなく話すことができるかどうかが、浮気であるかどうかを測る一つの方法となる。やましさを少しでも感じ、その時間のうち、一部であっても隠したい事実があるとするならば、浮気であるといえる。逆に、その時間の全てについて、やましさを微塵も感じることなく、あっけらかんと話すことができるのであれば、それは浮気ではないといえる。

次に、客観的な基準である。パートナーが相手の行為を浮気と思えば、それは浮気だということだ。人によっては、具体的な行為、例えば2人きりでの食事、手を繋ぐこと、キス、それ以上の行為など、ある一定の行為で線引きをする人もいるであろう。また人によっては、下心が少しでもある時点で、その後の行為は、行為の内容に関わらず全て浮気だという人もいる。

ただし、主観的な浮気と、客観的な浮気の両者については、ズレが生じることもあり、なかなか折り合いがつかないところである。この場合には、客観的な浮気の測り方が、つまり、浮気を受ける側の測り方が優先されることになると考えられる。

あなたにとって、浮気のラインとはどこにあるだろうか。

私は、今となっては、下心があれば、その後の行為は全て浮気であるといえる。

ただ残念なことに、自分が浮気をしていた当時は、自分を正当化するために、身体の関係を持った時に初めて浮気と言える、というような都合の良い考え方をしていた。

パートナーは、今の私と同様、下心があれば、その後の行為は全て浮気であると考える人であった。パートナーの、この考え方は、日常生活の節々から日々感じ取っていたし、自分の行動が明らかになることがあればパートナーを傷つけてしまうこととはわかっていた。

それにも関わらず、当時の私は、異性からの好意に、学生時代に戻ったかのような感覚さえ覚え、興奮していた。そんな状態であったため、学生時代の自分と、今の自分が背負っているものは格段に違うということが、見えていなかったのだと思う。

さらに最悪なことに、自分の浮気は絶対にバレることがない、という根拠のない自信が漲っていたのである。

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