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峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる

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#プロテスタント教会

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五七)「もはや彼らの罪を思い出さない」(へブル8…

 年齢のせいでしょうか?最近過去の事柄が突然脳裏に彷彿とよみがえることがあります。まっし…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五四)「片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けな…

地球上のいろいろな場所での戦闘が勃発し収束の兆しが見えません。打たれたら打ち返す、傷を受…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五三)「野のゆりがどうして育つのか」 (マタ6・…

植物の可憐さ、美しさを見て心が慰められない人はいないと思います。いったい植物は何のために…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五二)「各部分が互いにいたわりあうため」(Ⅰコリ…

昨年の晩秋から、私の住まいの近くにあるショッピング・モールでは華やかなイルミネーションの…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えない…

 先日ある方との間で茶道が話題に上りました。難しく細やかな所作を通して立てられるお茶は、…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四八)「あなた方がしらがになっても、わたしは背負…

 その朝、目覚めると同時に右手指がこわばっているような気がしました。曲げようとすると痛み…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四七)「まもなくかなたの流れのそばで」(新聖歌475番)

先週はイースターの召天者記念礼拝でした。「賛美の会(MCC48)は毎年イースターで特別賛美をさせていただいていますが、そこで、毎年歌うのが表題の聖歌「まもなくかなたの」です。 賛美の会が宇都宮聖歌隊から分かれたのは約8年前です。メンバ―シップをクリスチャンに限定して、教会の催事でご奉仕のできる「賛美のための会」として分離し、スタートしました。 会ではこれまで何人ものメンバーを天に送りました。その告別式にはもちろん寂しさもありましたが「天での再会がはっきりと約束されている」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の…

「あれよ。あれ。」「うん。そうそう。あれね。」夫との会話の中でこんな??が増えてきました…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四五)「足のともしび、道の光なるみことば」(詩1…

 体のためにと、毎日、決めた運動を続けてきました。お金をかけてGymに通うことは止めて、…

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「牧師夫人の徒然なるままに」(八四四)「主は悪者の行いを忌みきらい、義を追い求め…

 私の住まいの横には、なだらかなスロープに芝生を敷き詰めた散歩道が続きます。愛犬家にはも…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四三)「助け手としての役割に思う」 

  私は、結婚する時に、夫から「助け手」としての役割を頼まれました。そして、それを大いに…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三九)「主はおひとり」(その2)

 日本国内には、たくさんの礼拝対象があります。大木、巨石にはしめ縄がされ、人々はその前で…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三八)「主はおひとり」(その1)

 今年も年明けと同時に、多くの人々が神社へ初詣に出向きました。チャリンと乾いた音でお賽銭…

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三七)「やっぱり強い祈りの力」

 今年は、目に見えない物の中にある「本当に大切なもの」に心を向けていきたいと思っています。昨年末にかけて、孫娘が「蜂窩織炎」という耳慣れない病気に罹って二度、入院しました。  孫娘はまだ当時一歳でしたから、入院するにあたっては二十四時間、保護者が付き添い、しかも病気の患部が足だったので、狭いベッドから出ることも出来ず、歩くことも許されず、抗生剤の点滴治療に耐えなければなりませんでした。しかも両親は奉仕が目白押しの多忙な中でしたから付き添いも大変だったと思います。  そんな