見出し画像

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三八)「主はおひとり」(その1)

 今年も年明けと同時に、多くの人々が神社へ初詣に出向きました。チャリンと乾いた音でお賽銭を投げ込んで、一年分の安全と安心を得ようと、手を組み目を閉じて軽く祈ります。あの短い時間にいったいどんなことを願ったのでしょうか。無病息災でしょうか。世界平和?でしょうか。気象変動の危機の解消でしょうか?なんであれ、多くの日本人にはそれが恒例の儀式であり、何よりもそれをすることで自分の心に安心を取り戻したいのだろうと思われます。

 誰がかぶせたのか頭巾をかぶり、涎掛けをつけたお地蔵さんを見たことがあります。雨の日に、冷たかろうとかぶせたのでしょうか。新型コロナ・ウィールスで、人々が恐れおののいていた時には、マスクをしたお地蔵さんや、銅像がいたるところに見られました。

 嗚呼、かわいそう。お世話をしてあげなければなりません。どうぞマスクをなさってください。冷たい雨には頭が冷えませんように、この頭巾をお召しになってというわけでしょうか。

 お願い事をする対象でありながら、その対象が自分を守ることは一切できないのですから、おかしなことだと思います。大仏様も拭き清め、仏像も火事になれば救助するのは人の役目です。それは何とも妙な光景です。そんな対象が私を救ってくれるでしょうか。

安食道子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?