見出し画像

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四三)「助け手としての役割に思う」 

  私は、結婚する時に、夫から「助け手」としての役割を頼まれました。そして、それを大いに誇りに思いました。あれから、四十余年が過ぎた今も、私はこの役割を喜んでいます。

 「助け手」に抱くイメージは何でしょうか。召使のように仕えるというイメージでしょうか。テレビドラマで見る、靴下まで履かせてもらうあの威張りん坊の甲斐性なし(失礼!)の夫にかしずく姿でしょうか。  

 人類の最初のカップルの誕生時、創造主はエバを「助け手」として造られました。それはアダムを文字通り「助ける」ためでした。二人は同等の知性も霊性も持っていましたが、役割が異なりました。

 残念ながら、エバは蛇の誘惑に負けてしまいました。でも、何故、アダムはその時にエバを引きとめなかったのでしょうか。なぜ、エバに誘われた後も拒否できなかったのでしょうか。過激な言葉で言うならば、騙されることにおいても、アダムはエバと同等だったのです。この箇所から、世の妻たちは深く心に刻み込まなければなりません。良き妻、賢い妻は、決して夫を悪に誘い込むような助けをしてはなりません。賢い妻は、夫のためにも高い霊性を備え、常に「正しく助ける」役目を担っているのです。これは「助け手」の誇りです。この託された責任に真摯に向き合いましょう。

安食道子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?