ドキッ高齢者だらけの裁判大会 コロリもあるよ(ねぇよ)残照ほか

コロナ禍以降のご多分に漏れず、親父とゆっくりと語らう機会が久しくなかった。
兄貴を交えた家族親族でのスカイプ通話であればコロナ禍になっても毎月維持してきたが。

親父から神戸牛ステーキを食わせるお気に入りの店があるからとお誘いがあり、さきほどまでひさびさに男2名で語らってきた。肉を食った後にUCCの喫茶店で2時間ほど。

例によって話はあちこちに飛んだ。

①実年齢80歳で立派な(?)後期高齢者の親父だがおかげさまで健康そのもの。肉体年齢は50代半ばとのこと。生来が堅実で慎重、ともすれば臆病な性格だが、一度前立腺をやってからさらに慎重に生活を送っている成果なのだろう。

②親父の兄弟の長男が亡くなったとのうわさ。
親父は末っ子の三男ながら他の兄弟(長女・次女・三女・次男)を代表して長男と裁判で戦った。それが表題だ。当時一番若いおやじで5年前だから75歳。敵対する長男が90歳を超えている状態。京都の長男を被告にすると大阪の次男や神戸の三男(親父)が京都に出向かなければならない。それが癪に障ったので次男と話し合って次男を被告として裁判を起こした。この工夫で裁判は大阪は堺にすることができた。裁判や調停は長期戦になりえるので、場所が被告のそばになるというのは原告側として仕方がないとはいえ、こういった三者以上が絡む裁判ではこういう技も使えるぜ!ということで。

親父が情報収集をして真面目に資料を整理した材料を足掛かりに、私が戦略方針や交渉の指針を定めて勝ち取った福井の実家だが、相手勢力とこちら勢力両者がカギをかけて使用できない状態として「塩漬け」にしていた。長男が亡くなったのが事実なら、この塩漬けを解除する必要が出てくる。とはいえ、現状維持で困るのは相手側なので、こちらが積極的に動く必要はほぼないことを親父に説明した。

長男が亡くなった祖父に代わって農協に私文書偽造をしてたのを指摘して通帳も確保している。まあ、毎年たった2万円が振り込まれるだけの通帳(原発付近の迷惑料?と電柱と水道管を村のために設置させてる使用料)だが、実家の権利を持っている象徴のようなものだ。

次男坊ながら後継者指名を受けている私(長兄は好きにしろと投げ出し?もとい信任してくれている)としては、親父の兄弟に実家を解放して、改めて祖父母を懐かしむくらいのことはさせてあげられればと思っている。

③親父の青春時代は30代だったんではという話
単純に10代から20代にかけては生きるのに精いっぱいでとても青春どころではなかった。一方で30代になり千葉県にマイホームを手に入れ、少年野球チームの監督をやってた頃の親父は充実してたよねと。親父がネーミングをして2代目監督を務めていた豊上ジュニアーズは今や関東大会を圧勝するチームとなっているので驚いた。

私の3歳上の長兄は俊足好打の1番ショートとして活躍していたが、私は同期の3名がレギュラー(投手2名にセカンド)を務める中、私だけが補欠だった(笑)。
私「あれは内心誇らしかったんだよ」
父「誇らしい?」
私「親父がえこひいきしてない証拠だと思ってたから。自分がへたくそだっていう自覚はあったしね(笑)」

私はもっぱら1塁ランナーコーチや伝令を務めながら卑怯・・・もとい作戦を練るのが大好きだった。少年野球初のレギュラーデビューした試合で隠し玉を2回決めた人間ってのは私くらいだろう(笑)。

④今の将棋教室
幸いにして親父もおふくろもいまだに元気でやってくれてはいるが、ゆくゆくは妹が引き継ぐことになる。彼女にすれば食い扶持なので必死で将棋教室運営を考えねばなるまい。幸いにして藤井五冠ブームのおかげで生徒は断らないといけないレベルで来てくれている。

父「平日の午後の将棋教室にまた教えに来てくれ、新しく入ったドイツ(?)のハーフの子がおもしろいから」
私「将棋の勉強は続けてるし、この間の藤井さんの寄付も見たけれど。対人間は5年くらい指してないから強くなったか弱くなったかもうようわからんけどね」

といったような感じで。


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これからの家族のかたち

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。