福山ガリレオや水野スイフリーがあきらめた領域

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自分の領域外(「相手(他人)」や「環境」)についてはあきらめるのが基本方針だが。そこにある一定の法則性を見抜けば、多少の影響は与えられるものだ。

たとえば「相手(他人)の領域」は、相手の所有する情報や価値観だろう。「世の問題の9割は人間関係、特に多いのは敵対者ではなくて味方・身内との行き違い」が持論の私としてはあまり期待はしないものの観察注視対象の領域である。

福山ガリレオや水野スイフリーが「非論理(合理)的だから苦手だ」と言ってしまう児童ですらも彼らなりに見える範囲・読める範囲で、価値最大化の動きをしているわけだ。一見、非合理的に見えるのは、彼らの読みが「未熟で浅い」からであり、法則性がないわけじゃない。(と思うのでこのあたりは福山ガリレオや水野スイフリーと私の見解は異なる)

こちらのほうが「レベルが高い」のならば、ある程度は彼らのレベルに目線をそろえることで読み解ける可能性は高い。大学生のころに行ってた「中学入試専門の家庭教師」をしてた時によく用いていた。「生徒目線」にならなければ「なにがわからないのかわからない」となる。優秀な人というのは単純にレベルが高いわけだが、指導能力の場合はレベルの高さそのものよりも「レベル調整能力」のほうが重要だ。職人や学者の専門性が高すぎるあまり教えるのが下手な人がいるのは、彼らはレベル調整能力がない、あるいはレベル調整をするつもりがないからである。(実際、福山さんのガリレオは説明能力はあるのに「レベルを下げるのを嫌がっている」ようなフシがある)

もう一つの「環境の領域」の場合は自然現象や物理法則、法律などのルールや制度だろう。私は20年以上投資活動(規模はしょぼいけど一応はw)をしているが、投資の知識はほとんどなくて、単に世界史の知識を基準とした中長期の未来予測によっている。で、20年間で50以上の投資をして100%勝っている。
「購入時より高い価格の時に売る」のだから、まったく当たり前の不思議でもなんでもない話だが。平均すると年利5%は越えているくらいか。これなどは「環境の領域」に対する読みを用いたものだ。

一方で短期間投資やデイトレが難しいのは「他人の領域」の密度が濃いからだ。だから短期投資やデイトレに対しては、私の思考法はまったく通用しないので手を出さない。中長期になると、他人の領域にあったものが「確率統計」という「環境の領域」に収斂されていくという感覚がある。各論や個性が削れて総論的になって行くので、法則が普遍的になり、要素は増えるにもかかわらず、「読み」としては単純になるんだが、伝わるだろうか?

たとえば格上相手の将棋では「棋力による正確な読み」という絶対的正解の領域で勝負するとまず勝てない。なので「相手の領域」にアプローチして「相手の棋風や性格的に少しでも相手が間違える確率が高くなるように」指す。これで棋力は相変わらず父母のほうが上であるにもかかわらず、私が勝ち越せるようになったのだから一定の効果はあったのだと思う。

いつものように話が逸れた。自分の領域についてはあきらめずに最善を尽くすのは当然として。自分以外の領域については「期待しない」「あきらめる」のが基本だ。だが、その中でも相手の領域には相手なりの理論や価値観、環境の領域には環境の法則性があるので、多少は読みを入れる価値があると言いたいのだ。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。