【残業】テキトーな論法で仕事を投げ出し帰宅を画策する営業マンのお話
猿が人間に進化したように「言葉」も時代に応じて進化していくものだ。
この世をば我が世とぞ思った道長も望月欠けて次の時代へ進むものなのである。
たとえば文法的に「ですます調」で文章を書くなら文末は「ですます」で統一するのが定説だとされている。
誰もが初等科教育の中でそう口ずっぱく教えられたはずだ。
しかしながらそんな考えも古代人から考えれば「ですますとはなんぞ?げに憎げなり」と一笑に付されてもおかしくない。
時代が生んだだけの一時的な常識に過ぎないと考えるわけだ。
もっと言うと「了解」から「りょ」そして「り」へとより簡素化されていった昨今の言語的進化を見るにつけ、文章とはもっと自由で形式も必要としないものであって良いと思うのである。
たとえば「女の子とええ感じになって抱こうとしてんけど勃たなかった」という文章があったとして、これを「げにパイオツカイデーのチャンネーと懇ろになりけり。しかしながら珍棒パキらず、我枕を涙で濡らすより他なし。嗚呼悲しきかなありをりはべりふるりれろ」とフリーダムに文章を書いても通じるはずだ。通じるか?
要は何が言いたいかと言うと、
客に提出する企画書の文章が全く思いつかないのだ。
目的は企画書を通じてサービスを理解いただき成約してもらうことだ。
だから先に述べた理論を楯に、「黙って金よこせ」という文章の羅列で埋め尽くしてやろうかと私は考える。
言語なんてものは意思疎通が出来ればそれでええねんから書いてもええよね?
はよ家帰りたいねん。書いてもええよね?ね?
やるぞ?おらやっちゃうぞ??
こんな駄文をサポートしてくれるってのかい?酔狂なお人だぜ。うしサポートしていただけるってんなら憶測と主観・勝手なイメージであなたの記事を書かせてもらおう。なに悪いようにはしねえから気にしなさんな🥺